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Love has finally come at last.

Very
/ Pet Shop Boys

Pet shop boys-very
シンセサイザーの花束をあの子にも
 シンセサイザーがすきだ。触ったことはないし、音楽的な知識もあまり持ち合わせていない人間なので、音を聴いて、これがシンセサイザーだよ、と言い当てることは残念ながらできないのだが、とりあえず、ギターとベースとドラムとストリングス以外の音は全部シンセサイザーの音なんだと認識することにしている。要するに、それくらい色んな種類の音を出すことのできる楽器だ、という認識だ。実に有能なのである。もはや全能と言ってもいいくらいかもしれない。正しい認識なのかどうかはわからないが。
 正確にいつのことだったかは忘れたが、初めて聴いたペット・ショップ・ボーイズのアルバムがこれだった。そして同時に、このアルバムが僕の初めてのシンセサイザー体験だった。一曲目の“キャン・ユー・フォーギヴ・ハー”を聴いた瞬間に、大きな音だなあと思ったことを覚えている。音量の話ではない。凄まじい迫力だった。「彼女を許すことができるのかい?」と、音そのものでイエスかノーかを問い詰めてくるシンセサイザーの圧力。「僕の手をとって」と歌われる“リベレイション”では打って変わって穏やかに、風に乗って空へ舞い上がるように音階を駆け上がっていく。誰もが知っているかの名曲“ゴー・ウェスト”では、西に何があるとも教えてくれないくせに、その音に乗れば海を渡ることさえもできるのではと思わせる開放感が待っている。シンセサイザーがいかに音楽をグラマラスに彩るかを教えてくれた、忘れられない傑作アルバムのひとつだ。このアルバムが僕にとってのシンセサイザーの定義。シンセサイザーといえば『ヴェリー』。とっても。大袈裟なやつなのだ。
 そしてそんな大袈裟な音は、例えばギターのようなすぐそこの指先から聴こえる音とは違って、どこか遠くから聴こえてくるような気がする。シンセサイザーのそんな飛距離に乗れば、気付いたときには空の高さを感じている。海の広さを感じている。空を見上げようと思う前に。向こう岸を眺めてみたいと思う前に。綺麗なものは恥かしがり屋だから、いつも後から伝えてくる。すきと思う前からすきだった。生きようと思う前から生きていた。
14:56 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

君の街まで

The Glow Of Love
/ Change

Change-Glow Of Love
風に噂を託して
 シクラメンの花が咲く季節だそうですね。シクラメンと聞いて誰もが真っ先に思いつく男・布施明の歌う“君は薔薇より美しい”についてでも書こうかなとさっきまで聴いていたんですが、花にまつわる歌ならこっちの方がかっこいいなと思ってチェンジ。イタリアはボローニャ出身のディスコ/ソウル集団であるチェンジが80年にリリースしたデビュー・アルバムのタイトル・トラックであり、彼らの初期時代を代表する一曲。どうやらこのグループ、初期はメンバーが安定していなかったようで、にわかの僕には当時の体勢がいまいち把握できない。このブログで何度も紹介したことのあるジョセリン・ブラウン女史も参加していた時期があるようなのですが、どの時期のどの歌か、どなたかご存知ではないでしょうか……。この“グロウ・オブ・ラヴ”の時期にしても、レコーディングはイタリアで行い、最終的な仕上げをニューヨークで済ます、なんてややこしいことをしていたみたいだ。ボーカルには、当時最も脂の乗っていたシンガーのひとりであるルーサー・ヴァンドロスがゲスト・メンバーとして参加している。特定の花になぞらえて歌われた歌ではない。ただ、冒頭の歌詞が"Fower's bloomin'..."だから、勝手に花の歌なんだと勘違いしたままでいることにしている。しかし、タイトルのロマンチックなイメージ、ルーサーの歌声が放つ圧倒的な色香、そして、歩くほどに踊るほどに足元で花開くような可憐で軽快なこのステップを感じて、うっとりしてしまうような魅惑の花園を連想しない人はいないだろう。そう、連想。具体的なキーワードなど何もない。たいしたことが歌われているわけでもない。しかし何だろう、この歌が放つ、そこはかない魅力。目に見えなく、口にし難く、そして手渡すことのできない何か。雰囲気? それとも、ニュアンスと言うべきか……匂い? そうかもしれない。匂い。香り。それは、風に乗せることのできるただひとつの連想。いままで香水を買ったことはないけれど、この歌みたいな名前の香水があったら、ちょっと気取ってるけど欲しいなぁと思う。ちなみにこのチェンジというグループ、後に有名なプロデュース・チームであるジャム&ルイスの手を借りて更なる評価を獲得していくわけだけど、同じくジャム&ルイスの寵愛を最も受けたシンガーであるジャネット・ジャクソンの01年ヒット“オール・フォー・ユー”の元ネタが、まさにこの“グロウ・オブ・ラヴ”であったりします。
14:58 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

If I had a gun, I'd shoot a hole into the night sky, and stars would shine for you.

Noel Gallagher's High Flying Birds
/ Noel Gallagher's High Flying Birds

Noel Gallaghers High Flying Birds
兄貴、一緒に酒でも呑もうよ
 ホントかウソか、弟リアムから「空高く飛ぶウンコ」と絶賛されたという、我らがノエル兄貴のソロ・デビュー・アルバム。音の質感に関して言えば、デイヴ・サーディとの共同プロデュースということもあってか、やはり後期オアシス、特に五枚目の『ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース』を彷彿とさせる、どこかアンティークなサウンドが全編を通して光っている。初期オアシスのようなシンガロング系の楽曲は皆無で、骨格としてはどれもシンプルなものばかりだが、しかしオアシスでは絶対に使用されなかったような大胆かつ感動的なアレンジで聴かせる佳曲が並んでいる。バンド・マンとしてのノエル・ギャラガーという人は、ある意味で、いつだって不自由な環境で歌うことを強いられ続けてきた人だった。変化こそがチャレンジであり、それこそが美徳だとされがちなロックの世界で、唯一変わらないことを求められたオアシスというバンド。わがままな弟。生意気な弟。めちゃくちゃな弟……。とにかく、オアシス時代の彼の不自由な環境を挙げていけばキリがないほどなのだが、しかしだからこそ、彼が自由を獲得するための闘争は、もはや『ビィ・ヒア・ナウ』以降の苦難の道程を語るまでもなく、熾烈を極めたものだった。『ドント・ビリーヴ~』、そしてオアシスとしての最後のアルバムとなった『ディグ・アウト・ユア・ソウル』という二枚のアルバムは、ノエルが苦心の末にたどり着いた、オアシスが自らオアシスを脱却するという華麗なメタモルフォセスを思わせるような傑作だった。しかしようやく手に入れたそんな自由も束の間。相変わらずブーブーうるさい弟を中心に、内部崩壊を起こしたオアシスは解散を余儀なくされ、今に至る。ここで初めてひとりになったノエルは、とても伸び伸びとしていて、なんだか、いつになくジェントルだ。アルバムのラストに収録された“ストップ・ザ・クロックス”がとても象徴的(オアシス・ファンなら、ずっと聴きたかった楽曲に違いない。確か、『ドント・ビリーヴ~』期に作られた歌だったと記憶している)。時間さえも止まるほど、何もかもから解放されたその場所。そこには、ずっと追い求めてきた自由に限りなく近いものが、あったのだろう。そう思わせる。そういえば、弟の方のアルバムは、『なんとかかんとかスティル・スピーディング』だっけ? ずっと止まらずに加速し続けるスピードと、動きを止めた時間。二人とも相変わらず面白いね。ふたつの違いが何かはわからないけど、でもどっちとも、「永遠」ってことでしょう? だとしたら、そっと手を伸ばして時計の針を止めてやる方が、なんとなく、優しいやり方かもね。兄貴のそういうところ、だいすきだよ。
00:42 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

Who's zoomin' who's zoomin' who's zoomin'.......

Who's Zoomin' Who
/ Aretha Franklin

Aretha Franklin_1985_Whos Zoomin Who
いつもの僕はこんなじゃなない
 エリック・クラプトンを始め、名うてのミュージシャンがこぞって参加した68年作『レディ・ソウル』は、ソウル・ファンのみならずロック・ファンの間でも傑作として有名な一枚。七十年代には若干勢いを落とした印象のあるアレサだが、当時すでに全盛を極めていた名シンガーであり名プロデューサーでもあるルーサー・ヴァンドロスを迎え制作された82年の『ジャンプ・トゥ・イット』をきっかけに、第二次黄金期へと突入する。その後もう一枚のルーサー制作盤を挟み、85年に発表されたアルバムが本作。プロデュースには当時ソロ・シンガーとしても成功を収めていたナラダ・マイケル・ウォルデンがあたっている。ナラダ、元々はジャズ・バンドのドラマーとしてのキャリアから始まった人だけど、ポップでダンサブルな歌のアレンジを任せると、これがなぜか異様にうまい(ダンスマニア・ファンならナラダの名曲“トゥナイト・アイム・オールライト”とか聴いたことあるはず)。アレサのこのアルバムの中では、表題曲にして名曲の“フーズ・ズーミン・フー”なんかが顕著かな。他にもユーリズミックスとコラボした“シスターズ・アー・ドゥーイン・イット・フォー・ゼムセルヴズ”や、J・ガイルズ・バンドのピーター・ウルフとデュエットした“プッシュ”など、ナラダの他にも八十年代を顕著に示すキャラクターが終結し、実に当時らしいポップネスを発揮している本作だが、しかしこれが安価な阿りを感じさせない出来に仕上がっているのは、やはりアレサのボーカルがとてつもない迫力を発揮しているからだろう。“フーズ・ズーミン・フー”に聴き惚れて購入を決意したのだが、他の楽曲もどれも素晴らしかった。特に、シングル・カットもされている“アナザー・ナイト”の存在。愛しい「あなた」のいない夜を、「いつものことよ」と自らに言い聞かせるように何度も繰り返し、「いつもの夜」という永遠に繰り返される今夜に、「切り抜けてみせる」と力強く歌声を振るわせるアレサ。それはまるで、いつものわたし、を保持する必死の闘争のようにも聴こえる。しかし、いつものわたし、っていったい何だろう。なんだかいつもより大きく見える月も、結局は、いつもと同じ月。それなのに、君といるときに限って、余計なことばかり喋ったり、肝心なところで黙り込んでしまったり……。ひとりだったら、こんなこと思いもしないのに。いつもの僕は、決してこんな風じゃないんだ。ずるいかもしれないけれど、それってもしかして、心を奪われていることにならないかい?
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お昼休み放送局

Rapture
/ Anita Baker

Anita_Baker-Rapture_3.jpg
珠玉のセイム・オールド・ソングス
 主に70年代後半から80年代中期にかけて、官能的なブラック・ミュージックを中心としたプログラムで人気を博したアメリカのラジオ番組『クワイエット・ストーム』。ジャズの素養を色濃く持ったシンガーであるアニタ・ベイカーが86年に発表したメジャー・デビュー・アルバムである本作は、そんなクワイエット・ストーム・ブームを代表する名盤のひとつとして知られている。当時日本のラジオでもかかりまくっていたという名曲“スウィート・ラヴ”を筆頭に、泥臭いソウルとは明らかに一線を画した、ジャズのしなやかさ、フュージョンのふくよかさの際立つ洗練されたナンバーが並んでいる。同時代の流行であったデジタル・サウンドに左右されないオーセンティックな音作り、キリスト教終末論における恍惚的な解放をモチーフにしたアルバム・タイトル、漆黒の中で祈るように着座したジャケット写真の佇まい、とひたすらにイメージはエレガント。べらぼうに歌はムーディ。でも、歌声はちょっとだけ気だるい。疲れてる。そこが、とても魅力的。広く浅くをモットーに音楽を聴いている、何に関してもにわかの僕としては、ジャズはやっぱりこの疲労感だろ、とすぐに思ってしまうわけで。場末のバー。お馴染みの酒とくたびれた煙草。使い古されたフレーズ。お決まりの座席。それは、愛着という名の宝石。誰かの手の中で、長い時間をかけて可愛がられてきた輝き。そしてそんな、長い時間の経過を感じさせる代物は、どれも決まって同じ色をしている。ウイスキーも、古いアコースティック・ギターも、手垢にまみれたテーブルの木目も。太陽も、一日という長い時間をかけて、最後の最後にこの色になる。イメージはあくまでも、ピアノの美しいボディを思わせる、エレガントなジャズの漆黒。でもその歌には、琥珀色のソウルが確かに光っている。これはいい。
12:24 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
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