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紛い物の物語

Pulp Fiction
Pulp Fiction
人生なんて慣れるまで怠けてりゃいい、だっけ?
 一台のオープンカーがそのまま一組の座席になっている、ちょっと気の利いたレストラン。そこに向かい合って座るジョン・トラボルタとユマ・サーマン。ふたりともタバコを片手に、それぞれのオーダーしたドリンクを傾けながら、喋ることを見つけられずに無言に徹している。退屈を持て余したユマ・サーマンが、一杯五ドルもするバニラシェークについていたチェリーを唇でなでて、堪らず口火を切る。「こういうの嫌い。気まずい沈黙。それを避けるために、くだらないことを喋るのよね?」。タランティーノの映画を引っ張っていくものは、基本的に、グロの刺激だったり、時系列を自由自在にまたぐストーリー構成だったりという、エンターテインメント寄りのものだ。会話はもはやその隙間を埋めるためとしか機能しておらず、だからどれだけキャラクターが雄弁に言葉を並べ立てたとしても、それは心にのしかかる重さを持たず、どこまでもくだらない無駄話の域を出ない。でもそのひとつひとつがもういちいちかっこいい。タランティーノの映画のど真ん中を真っ直ぐに貫いているものは、無駄の美学だ。役に立つことなんてしない。タバコをふかし、酒に酔われ、クスリで飛び、軽やかに流血、誰かを殺すことに大義なんていらない。映画には重大な意味性など必要ない、という開き直りに近い体裁的なスタンスですらなく、映画は暇つぶしでなきゃ意味がない、とでも断言するかのような、それは力強い信仰なのだ。だからどいつもこいつも、いつだって片手にタバコを持っている。文字通りの片手間なのだ。でもそれでいい。ジョン・トラボルタとユマ・サーマンはその後、退屈を打ち消すように、本物の死に近づくほどの大袈裟な暇つぶしを体験する。疲れ切ったふたりが最後に交わす会話がこれ。ユマ・サーマンから。「テレビ番組のジョークを聞く?」「聞きたい。でもいまはショックで笑えないかも」「笑えないほどくだらないの」「言えよ」「トマトの親子が歩いてるの。坊やの足が遅いもんだから、パパ・トマトが坊やをつぶして言うの。急げ(キャッチ・アップ)」「……」「ケチャップ。……じゃあね」。そうして寒いジョークを置き去りに、自分の家へ帰っていくユマ・サーマンの沈黙した背中に向かって、ジョン・トラボルタがそっと、誰も見ていないところで、投げキッスを送る。やっぱりかっこつけるくらいの余裕がなきゃ。片手ぐらい空けておかないと、誰の手も握れない。

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