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平面から立ち上がる想像力は、3Dよりも圧倒的に立体的だってことだよ

リゾナント ブルー
/ モーニング娘。

モーニング娘。-リゾナントブルー
これがスタンダード
 08年発表の通算36枚目のシングル。セールスや知名度の点では決して目立つ立ち居地の歌ではないが、吉澤ひとみと藤本美貴を最後にグループの「顔」になれるでかい存在感が消えた以降の、つまりは久住小春卒業までの過程を含めた現メンバーによるモーニング娘。のキャリア運びを語る上で、ひとつの決定打になった歌だと思う。僕はリアルタイムでは聴いていなかったので、いまになって全シングルを総括しての感想になってしまうのが申し訳ないのですが、この歌の語る意味が、「これだけの歌をやってもかつての人気は取り戻せない」という矮小な結果しか打ち出せていないところが一番悔しい。聴き手が追いつけていないとしか思えない。アイドル・ポップというのは、言ってみれば無我の極みの音楽である。自分自身にどれだけ無責任になれるか、こんなところに自我の居場所を与えなくていい、その一点にどこまで思い切れるかですべてが決まる。迷いや遠慮は一発で見抜かれる。アイドルは神様でなきゃいけない。その信仰には、何の担保も必要ではないのだ。人ひとりの命を救った功績すら未だ持たない神様に、それでも人は手を合わせて拝み倒す。アイドルとは、そういうものである。何の見返りもできないくせに、無心に愛されなければいけない。実は何にもできないその笑顔の嘘で会場中を騙しつくすアイドルの愛嬌はすでに狂気だ。誰にでもできることじゃない。そこの部分でどうしようもなく表れてしまう躊躇こそが、本当の人間味というやつだからだ。そしていまのモーニング娘。は、あまりに正気すぎる。タバコの一本や二本や何本かくらい、吸ってやればいいのだ。いまのモーニング娘。にかつてのスペクタクルな混乱は描けない。プロデューサーのつんく♂が誰よりもそこに意識的だった。高橋愛と田中れいなのふたりにメインパートを任せ、ひとつひとつの粒を際立たせることよりも全体としての、「モーニング娘。」というひとりの女の子としての自我の発露にすべての焦点を定める。07年の“笑顔YESヌード”以降から始まりつつあったそんな模索が初めて結晶化したのがこの歌。このシングルの二種類ある初回盤のひとつに、メンバーがレッスン着にスニーカー姿で踊るレッスン・スタジオ・バージョンのビデオが収録されている。一切の派手な装飾を排除したスタジオで踊るモーニング娘。がここで、いまの自分たちが正気だからこそできる構築的に完成度の高い、最高のパフォーマンスをしている。そしてそのダンスのレベルも、昔のティーン誌で誰もが踊れるように振り付けが掲載されていたようなものとは、明らかに一線を画している。歌はかつてのLOVEやピ~ス!といった万人の納得できる模範解答を積極的に拒絶するような個人性の強い内容。この歌から現在までに発表された、カバー曲の“ペッパー警部”を除くすべてのシングルでこの方法論が踏襲されている。だからこそいまのモーニング娘。が歌う「恋愛」は、「レボリューション21」から「なんちゃって」という意識を伴った孤独と自虐へとたちまち変貌する。虹みたいに明らかなカラフルなんて描けなくていい。青というそのたった一色の中に、すでに鮮やかな彩りは用意されている。いまのモーニング娘。はもうそれを知っている。知らないのは、あなただけだ。

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