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完成度が高くて切なくなったので、お門違いなこと言います

Acolyte
/ Delphic

Delphic-Acolyte.jpg
ロックなんて、土足で踏み込んでナンボだろうが
 デルフィックと関係のない話で申し訳ないけど、昨年末からブロック・パーティーの解散説が浮上している。どれくらい信憑性がある話なのかわからないし、個人的に、将来レディヘと同じ舞台で戦える数少ないバンドだと思っていたから絶対に止めて欲しくないんだけど、マットの脱退とかケリーのソロ作品の話を見聞きする限り、ほとんど決定的なんだろうなと思う。もはやロックとダンスの間に垣根などないに等しいし、金髪の兄ちゃんがギターかき鳴らしてるっていう昔のイメージじゃもうほとんどそれはロックとは呼べないところにまで来ている。チャートからはギター・ロックが目に見えて後退し、器用なデジタル使いが上位を占めるようになっている。ブロック・パーティーは、あくまでギター・ロックの領域から、ダンスやデジタルの方角へと足を踏み入れていったバンドだ。現時点での最新作『インティマシー』ではまったくギターの音の鳴っていない楽曲も多く収録され、ギターの音でさえデジタルの「素材」のひとつとして使用するという徹底した構築を図りつつ、間違いなくロックとしてのダイナミズムさえも内包した大傑作だった。そして、ライブというある意味アナログな場所では完璧に再現しきれないほどデジタル使用に移行したそのアルバムを最後にブロック・パーティーが解散してしまうのなら、それはそれで、ひとつの象徴的な出来事だと思えなくもない。コンピューターひとつであらゆる音声を作成できてしまえるいま、ロックはギターに義理立てする必要などないし、バンドに固執する理由も、これといってないのである。
 もちろんデルフィックはバンドである。ギターだって使っている。そして90年代テクノを土台としたそのサウンド・デザインは、新時代のものではあるが、リスナーにとって決して初めての音楽体験にはなり得ない。ここには確かにロックのエキサイティングな魅力がある。挑戦だって破綻だってある。でも、やっぱり顔が見えないんだよな。演奏してる連中の背後に、物語が見えない。というか、この達観の仕方は、意図的に見えないようにしているような気さえする。超クールだ。ただひとつ僕が言いたいことは、時代や音質が変わっても、ロックには絶対に変わってはいけないところがあるということだ。当たり前すぎてびっくりされなきゃいいけど、それは、ロックはかっこよくなければいけない、ということだ。このアルバムがかっこ悪いって言ってるんじゃない。“カウンターポイント”とか、頭下がるくらいかっこいいよ。でも、だ。でも、カート・コバーンにしても、ギャラガー兄弟にしても、リヴァース・クオモにしても、ジェラルド・ウェイにしても、マイクの前に立たせればかっこよく見える彼らロック・スターの背後には、いつだって冗談にすらならないようなかっこ悪い物語があった。だからこそ彼らにとってロックという場所は、ほとんど唯一と言ってもいいくらい、すさまじくかっこつけられる場所じゃなきゃいけなかった。そして、そこには聴き手の心までも巻き込んで傷つけるノイズが確かに鳴っていた。アクモンとかデルフィックとか、クールな連中ばっかじゃマジで面白くないんだよ僕は。ヘッドホンから聴こえる物にしか興味が持てない。素晴らしいアルバムだけど、二年後にはもう聴いてないと思う。

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