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惜しい

Stephen King's The Shining
the shining
見えるものが見えるだけ
 スタンリー・キューブリックの映画は非常に難解である。それは彼が映画を製作するときの基本的な美学が、極端な「排除」を基に成り立っているからだ。無駄な装飾が一切ない、すなわち、解説めいた挿話が作品内から徹底的に排除されているのだ。だから、思考を停止させてただそこに流れる映像だけを目で追っていたら、感想は「革新的な撮影技術」だとか「スタイリッシュな映像デザイン」だとかいう観れば誰にだってわかるご丁寧な説明に終始してしまう。要は何もわからないのだ。それさえあれば誰にだって理解できるのに、という優しい解説を彼がことごとく排除してしまう理由、それは、彼にとって映画とは、それが疑いようのない視覚メディアであるにも関わらず、いやだからこそ、見えないものを映し出さなければ意味をなさないからだ。見えるものが見える映画ではいけないのだ。見えないものが見えなければいけないのだ。だからキューブリックの『シャイニング』では、キャラクターの性格付けやそのバックボーンとしてのトラウマティックな過去、ホテルに眠るスキャンダラスな真実、トニーという不可解な少年の存在、作品の要となる「シャイニング」という名の超能力についてすら、一切の説明が行われない。彼にとっては、スティーヴン・キングの原作小説『シャイニング』に秘められた、決して視覚することのできない狂気のみが映画として映し出すに値する価値を持っていたからだ。過ぎ去ってしまったはずの過去がまるで無表情のモノリスのように現在に立ちはだかり、現在が逆再生されて二度と戻りたくない過去に迷い込んでしまう、そんな人々の狂気を、しかしキューブリックは原作には存在しなかった「迷路」というモチーフを新たに採用し、作品の細部にそれを暗示させるキーワードを散りばめることで、本来なくてはならなかった過去の物語を語らずして、その狂気の本質的恐怖を見事に抉り出してみせた。本作は、キューブリックが作品を勝手に上書きしてしまったことに多大なる不満を覚えた原作者のキングが、公けなバッシングを控えることと引き換えに、自らが監督を務めTVドラマ版として撮り直した方の『シャイニング』。原作にひどく忠実で、キューブリックが意識的に排除した挿話ももれなく網羅してある。キューブリックのバージョンが難解であるが故に多分に誤解を招く作品になってしまったことへの反発もあったのだろうが、オーバールックホテルというたったひとつの閉鎖的舞台で展開される物語としては、ディスク三枚組み四時間半はいくらなんでもくどすぎる。絶対に誤解されるわけにはいかないという気負いがあったのか、どうでもいい日付までも事細かに説明される。観念的な思惑までも間違えられないように全部映像化しちゃってるせいで、観る側に想像力を働かせる必要がなく、奥行きがない。これだけの情報量を持った原作小説を、描かないことでこそ説明し、映画という様式の制約内にぶち込んでみせたキューブリックの方が、やっぱり映像を手がける人間としては二枚も三枚も上手。キューブリックのバージョンを観た後では、キングの方は暇つぶしにうってつけな「神経質な解説」程度にしか思えない。だって全然怖くないもん。何もかもが手に取るようにわかるホラー作品なんて怖いわけがないじゃないか。でももちろんやっぱり一番すごいのは原作を書いたキングだ。キングはキューブリックの『シャイニング』を死ぬほど批判したらしいけど、他の人間だったらこんな物語、コントロールするどこかいいように振り回されるだけで終わるのがオチだろう。キューブリックのがダメなら、原作小説を映像として表現するのはそもそも不可能な話だったと認める他ない。

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