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嘘つきロマンチスト

COSMIC BOX
/ YUKI

YUKI-Cosmic Box
どこにでもいるよ
 人が歌う、ということがいったいどういうことを意味するのか、人並みにしか聴かないし歌わない僕にはよくわからない。ただそれが、絶対的にこの世になくてはならないものだったとは到底思えない。僕たちの喜びや幸せや解放は、何も歌なんかに求めなくても、いくらでも他のところに転がっている。気持ちよくなりたいならもっと手頃な方法がある。でも、だからこそ歌が必要だった、という言い方もできる。人間が本来必要とすべきものではなかったからこそ、誰かは歌を歌わなければいけなかった。それはつまり、キスやセックスと同じ救済ではいけなかった、誰にでも与えられる、誰にでも受理できる喜びではいけなかった。そういう、すんごいちっぽけで個人的な営みだったのかもしれない。だとしたら、世界で初めて歌を歌うことを必要としたそのひとりは、そこにいったいどんな思いを込めたんだろう。世界で初めてのその歌を聴くことを求められたもうひとりは、そこにいったいどんな思いを見たんだろう。わからないけど、それが世界から美しく消えるための、後ろ向きな辻褄合わせの歌なんかじゃなかったらいいなと思う。その方が愛があるから。世界にとっては必要のない嘘でしかなかったとしても、そのふたりにとっては絶対になくてはならなかった真実があると思うから。

 凡庸な言い方で恥ずかしいけど、YUKIは基本的に、明るくて元気でポジティヴな女性だと思う。彼女が自身の音楽にいつだって飛び回るようなポップ性を必要としてきたのはそこの部分の表れに他ならないし、その歌は実際にここまで未来を切り開いてきた。でもそれが、何の根拠もない取り繕った前向きさとはやはり無縁のものだと思わざるを得ないのは、彼女がごく稀に、これまで自分が歩いてきた道程をふと振り返るような歌を歌うからだ。ジュディマリのときからそうだった。それも単なるセンチメンタルな思い出に浸るとかそんなんじゃなくて、過去との距離を未来に向かって計るような歌。ものすごく個人的な感覚で申し訳ないけど、YUKIがそういう歌を歌うとき、僕はいつも時が止まるような気がする。自身のキャリア以前の過去にまで立ち返った“汽車に乗って”。「愛しい呪い」と語るバンドへの決別宣言となったソロ一枚目の『PRISMIC』。『PRISMIC』のジャケ写がとても印象的で、そこには時の止まった少女が蜘蛛の巣に捕らえられたように写っている。あんなすごい表情をしている女の子を僕は他にあんまり知らない。時が止まって、すべての流れから解放されたそこには、いったい何があるんだろうって思う。

 11月18日にリリースされたYUKIの新曲“COSMIX BOX”は長澤まさみ主演映画『曲がれ!スプーン』の主題歌として提供された楽曲で、YUKIは映画のオフィシャル・サイトにこんなコメントを寄せている。「私達が子供だったころ、自分だけが見えている世界がありました。公園の砂場はロケット基地になっていたし、部屋の壁紙の柄は巨大な龍になり夜毎乗せてくれました。どんなに時が変わっても目に見えない意味のある偶然を伝えていくことが、人間の使命なのではないかなあ思います」。タイトルが物語っている通り、映画にはどうやら超常現象やらエスパーやら信じ難いものが色々と出てくるみたい。YUKIの歌にはもともとファンタジー的な要素を含んだものが多く、この曲でもやはりそこの部分は不変だ。そのふたつの共通点とはつまり、想像力が豊かであること。非・現実的であること。理由・根拠がないということ。要するに、実態のない幻想とほとんど紙一重であるということだ。そして、頭の中での想像力のみによって起動させられるという意味においては、僕たちの過去も、すべてが過ぎ去ってしまったいまとなっては、それもまたやはり幻想のひとつと、言えないこともないのだ。人は思い出を美化する傾向にある、と一般的に言われる。そういうことなのだ。
 だがしかし、YUKIがここで歌っていることは、細部を失い幻想へと成り果ててしまった過去を憂うことでも、そんな疑わしい過去しか持てない自分に改めて疑問を呈することでも、もちろん自分勝手に装飾した美しい過去の世界に酔い痴れることでもない。YUKIはこうも言っている。「『COSMIC BOX』は、宇宙とより近く繋がっていたあの頃の自分と会える場所です。信じるも信じないも自分次第」。
 そして、こう歌っている。

      遥か遠い昔から 伝わる言葉も全部無意味だとしても
      誰かが紡いだ 愛と未来の歌をうたおう

 YUKIはやはり、遠い過去のさらにその先に、他ならない未来を見据えている。そして、そんな未来もまた、いま、ここに再生し得ないという意味では、頭に思い浮かべることしかできないという意味では、もはや幻想以外の何物でもないのだ。
 ほんの少しのことで、過去なんて嘘に変わる。ほんの少し、自分の弱さに寄り添ってしまうだけで、そこには取り返しのつかない隔たりが生じてしまう。最もなりたくないと願っていた何者かにしかなれない自分。現在が膠着した時に人が真っ先に疑いの眼差しを向けるのは己の過去である。嘘になって錆び付いた過去は当然一層がんじがらめに現在を縛り上げ、未来への行く手を阻む。そうなれば未来はたちどころに劣化する。繋ぎ止められない過去。失われた未来。その狭間で揺れるこの不安定な現在は、だとすればいったい何なのか。

 前にもやったけど、世界が100の真実でできているとする。おそらくそのうちの99までは、人間が本来必要とすべき、「本当」によってこそ語られるべき真実なんだと思う。でも、その「本当」だけを掻き集めて、組み立てても、世界は完成しない。それじゃあたったひとつだけ欠けてるんだ。「本当」だけじゃ100%の真実は完成しない。なぜなら、その99の「本当」が語り出す真実は、「嘘」の存在を決定的に肯定できないからだ。そこに「嘘」がある、という紛れもない真実を、「本当」は決して許さないからだ。
 歌が鳴り始める場所というのも、ある意味ではここである。世界に必要ではなかった「嘘」が真実を語り始める場所。米の一粒も作らずにぽわぽわ歌ってる人間だって、それでも「生きている」。それは、そこに「嘘」がある、という、そんな喜びにやはり違いないのだ。

 大ヒットを記録したサード・アルバムの『joy』以降、YUKIはなんだかニセモノっぽく努めることに徹しているような印象がある。ここ数年のシングルを並べたら軽薄にさえ思えかねないカタカナの羅列になってしまいそうだし、未だにコスプレみたいな衣装着るし、回るし、宙飛んじゃったりもする。原風景回顧の“汽車に乗って”でついに取ったと思ったウィッグもまた復活した。だいたい37歳であの可愛さっていうのが一番嘘っぽいじゃないか。そんな道化を演じながら、それでもYUKIは、わたしはここにいる、とすべての時から解放されたそのどこでもない場所から高らかに歌うのだ。過去にも、未来にも、現在にも、それが幻想でしかなかったとしても、わたしはどこにでもいる、とYUKIは歌うのだ。
 時が止まった『PRISMIC』のジャケ写をもう一度見て欲しい。なにやらYUKIは奇妙な形に指の開いた左手をそっと掲げて佇み、その指先は初めて出会う誰かに「こんにちは」という未来を告げているようにも、去っていった誰かに「さようなら」という過去を告げているようにも見える。結局、ひとつはふたつであって、ふたつはひとつでしかない。とある真実を、前からなぞるか後ろからなぞるか、内からなぞるか外からなぞるか。ふたつは、その程度の「同じ」でしかないのだ。僕たちは、我を忘れて遊びまくったあの公園の砂場がロケット基地でないことを知っている。ただ念じるだけでスプーンを曲げることなんて無理だって、わかっている。でも、その起り得ない嘘は、ただ僕たちがあの頃のように騙されてやるだけで、本当に起こり得てしまうのだ。

 何にもなくて何もかもがある宇宙みたいな不思議な箱、“COSMIC BOX”。大丈夫だよ。僕たちはそれぞれにそれぞれの奇跡の箱を持っている。どこでもない星の真下には多分僕たちの欲しいすべてのものが揃ってる。正しかったり間違ってたり迷ったり迷わなかったり元気だったり元気じゃなかったり色々しながらもあなたは間違いなくここに「生きている」。だったらこんな世界、生きずにはいられないって、YUKIはずっとそう歌い続けてる。

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2009/11/23 (Mon) 20:42 | 新しい世界へ・・・