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ある意味では一番アホ?

アホ。

「アホ」って言った方がアホや。

「『アホ』って言った方がアホ」って言った方がアホや。

そんな、合わせ鏡のようなアホの応酬の最果てにいるのが、
ハンニバル・レクターという男だ。

Hannibal
Hannibal.jpg
世界一口喧嘩したくない男
 この作品が海外で具体的にどう評価されているのかは知らないし、そんなことは実はどーでもいい。ただ、特に映画に明るいわけでもない僕でも、狂人・レクター博士の狂気が猛威を振るうこのハンニバル・シリーズが、日本における少なくとも一般的なレベルで、正当な評価を得ていないということだけは十二分にわかる。本編に登場する所謂「脳みそ喰い」シーンの鮮烈さから、視覚的な意味においての暴力イメージばかりが先行してきた印象があるが、実はこれほど映像化に向いていない話も珍しくて、それはなぜなら、レクター博士という人間の暴力はいつだって目に見えないところでこそ効果的に機能する代物であって、その正体とは何かというと、それは他でもない「言葉」なのだ。天才精神科医であり、地下牢という下界を眺めることすらできない閉鎖空間に閉じ込められてきた彼のプロフィールがすべてを物語っている。彼は、いつだって「目に見えないもの」を見ようとしてきた。その究極たるものが、言葉だ。ここでの言葉には、当然のように文字や音としての意味は希薄である。彼が獲得した最大最強の武器としての言葉は、想像力を喚起する装置としてこそ最も重大な意味を持つからだ。例えば、本作でレクター博士は、彼のもとを訪れた刑事に向かって、こんな言葉を吐いている。「人は考えを言葉にしない。ただ黙って、あなたの出世を拒む。すまん、許してくれ。わたしは何でも言葉にする質でね」。こうして切り取ってみるとなんでもない台詞だが、ここに込められた真意とは、考え・言葉こそが個人の世界というリアリティそのものであり、例えば内向的な人間が閉鎖的な自己の内側にファンタジーの世界を広げる傾向にあるのとまったく逆で、すべての考えを言葉に変えて自己の外側にアウトプットすることは、自己の外側にこそ個人の世界を広げる試みであり、だとしたらそれは、個人の世界が全世界を飲み込む強靭さを獲得し得ることを意味するのではないか、ということ。ちょっとややこしいけど、「自己」という漠然とした概念を内包する器を、自分の肉体と設定するか、肉体の外側すべてこそが容量とするか、ということ。内側と外側の関係性が食い違っているのだ。閉じられた箱の内側が、本当に「内側」かどうかなんてわからない。それは箱の外側を閉め出すという意味においては確実に内側だが、内側を外側から閉め出すという意味においては紛れもない「外側」なのだ。レクター博士の言葉には、そういった実際に視覚することのできない想像上の事実を示唆する非情に観念的なレトリックがあちこちに散りばめられている。それを日本語で簡単に言ったらどういうことかというと、要するに「屁理屈」だ。この頭のイカれたおっさんが、毎回結構危うい状況に追いやられても実に都合よく、最後に必ず勝っているのは、この物語における全世界が結局は彼個人の内側でしかないからだ(彼の妄想とかそういう意味じゃない。一応)。目に見えない言葉の幻想が実在する肉体をも凌駕するその圧倒的な矛盾にこそ、この物語の本当の戦慄は潜んでいる。

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