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ジャケットが2001年~っぽい

The Resistance
/ Muse

Muse-The Resistance
「わからない」に限り無く近いもの
 スタンリー・キューブリックの映画が好きなんだけど、どれが一番かって言われたら僕は絶対に、スティーヴン・キング原作の『シャイニング』って答える。あれはもうホント一時期気が狂ったみたいに観た。でもなんだかんでキューブリックは『2001年宇宙の旅』だと思う。あれはマジですごい映画で、何がすごいって、人間の頭の中のわからない部分を限りなく完璧に近い形で表現しきってる。基本的に、表現なんていうのは「わからない」ところからしかスタートできない。詳しいことは知らないけど、ウィーザーのリヴァース・クオモが“オンリー・イン・ドリームス”っていう名曲を作れたのは、大好きだけど抱き締めることのできない、その、決して手に入れることのできない至福の手応えに限り無く近いエクスタシーを音楽に求めたところから始まっているに違いない。つまり、わかりたいけどわからない答え、それそのものではなく、それに限り無く近い、一種の絶頂感。だから、どんな表現にしても、完結したものなんてあり得ない。歌がそこに作り出すのは大好きな女の子っぽく見える幻想だけだから。そこには物語を終結させる絶対回答なんて用意されてはいない。だから人は今日も歌を歌う。人間は基本、わからないもの、を、わかりたい。だから、いつだって興味の切っ先が鈍ることはないし、クイズ番組は終わらないし、宇宙なんていう果てしない黒にまでその矛先を向けたりして、とにかく答えを求めてる。『2001年宇宙の旅』は、ある意味でそんな人間の途方もない興味の肥大していく様子を生々しく描いた作品で、主人公が宇宙の最果てで経験するものは、極彩色のサイケデリア・トリップだ。要するに、狂気的に理解不能な人間の想像力である。人間の頭の中には宇宙以上に意味わからないことがアホほど詰まってる。そもそもあらゆる事象を対象化した時に、最も不可解なのは大概にして「自分」だ。想像力は宇宙よりもバカでかい。ミューズの新作を聴いて思うのもそういうこと。どれだけ巨大化しても、どれだけスタジアム級の解放感を獲得しても、ミューズの音楽の背後には常に閉塞感がへばりついてる。演奏側がまだ未熟だったファーストがやっぱ一番顕著なんだけど、それは、ミューズの音楽が結局のところマシュー・ベラミーっていう男の内側で築き上げられる幻想の世界でしかないからだ。で、多分わかってるんだと思う。そここそが宇宙の外側だってこと。

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