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シュヴァンクマイエル54歳の時

僕はディズニーのアニメが昔から苦手で、
これ観たら、あーあれは一種の悪意だったからなんだと思った。

アリスといえば、
最近読んだ北山猛邦の『「アリス・ミラー城」殺人事件』は面白かった。
メフィスト作家は意識の絡まっている人たちが多くて
それが独特の毒味を摘出しているように思うのだけど、
北山猛邦のミステリーはそういう意味ではメフィスト的じゃない。
でも「本格」としての説得力は絶対に読み手を黙らせると思う。

Alice
/ Jan Svankmajer

Jan Svankmajer
悪意なきシュールレアリスト
 「シュール」というそれ自体が微妙なバランスで成り立っている感覚を日本語で的確に言い表すことは難しい。諸説あるだろうけど、あえてここではそれを「悪意」と言いたい。シュールとはすなわち「非~」であることだ。理屈に反していたり意外であったりすることだ。自然的でないということ、つまりはそこに現実を歪める何がしかの意識が介在しているということだ。それを僕は「悪意」と呼びたい。本作は鬼才ヤン・シュヴァンクマイエルが88年のベルリン映画祭で上映した初の長編作であり、言わずと知れたルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』を好き勝手デフォルメしてそこにグロさすら引き出してみせた変な作品。でも極言すればルイス・キャロルの原作だって相当にイカれた話で、大きくなったり小さくなったり動物もみんな変だし明らかに始めから首はねる気しかない女王が出てきたりして、児童文学とは言えその異質感は冷静に読んだらファンタジーですらない何かにだってなりかねないくらい危うい悪意に満ちている。ルイス・キャロルがあの作品を作ったのだってアリスという名の実在する少女や「アリス」という愛しい名前そのものに異常な執着を持ったところから始まっていて、それは『鏡の国のアリス』という続編まで生み出している。ヤン・シュヴァンクマイエルは映像作品に頑なに「触覚」を求めた人で、実写では再現不可能なシーンも人形(本作でも体の小さくなったアリスはすべて人形を使って再現している)やクレイアニメを駆使し、映像を切り刻み、想像世界を「目に見えないもの」に留めておくことを許さない。効果音もわざとらしいくらい大袈裟な、一歩間違えればおふざけになってしまいそうな露骨なものばかり使っていて、そこに確かな耳障りを持たせようとしている。でも、短編集とか観たら特にそう思うんだけど、シュヴァンクマイエルの作品はすげー無邪気なんだ。無知な子どもが唐突にあり得ない構図でお絵かきを始めるような。だからこそここには大人が子ども向けに現実を歪める悪意ではなく、ひとりの少年が、自分がすでに大人になってしまっていることにすら気付かないで作ったような、でもその作品は明らかに子どもの鑑賞に堪えるものではないという、そういうナンセンスが効きまくっている。

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