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もしも、

僕が僕のモノマネをしているのなら。
君が君のモノマネをしているのなら。

Mister Lonely
Mister Lonely
あなたはマイケル・ジャクソンよりも個性的だ
 マイケル・ジャクソンとして生きるひとりの男が、マリリン・モンローとして生きる女性と出会い、他者を通じて自分自身を見つめなおすことで、最大の他者としての「僕」という意識を求めて旅立つ。ふと、他の誰でもないはずの自分が、他の誰とも結局何も変わらないような奇妙な感覚に陥る。世界には今この時も六十五億にも及ぶ人間が生息していて、地球という長い歴史の中で考えたら、ひとりの人間なんて砂漠の中の特定の砂粒のひとつのような存在でしかない。まったく同じ形の砂粒くらい、探すことはできなくても他にもいくつかあるだろう。結局のところ、僕たちは知らず知らずのうちに他の誰かの人生をなぞっている。この映画に登場するユニークなキャラクターたち――チャップリンとして、マドンナとして、エリザベス女王として、ローマ法王として生きる人々――が、誰かのモノマネを四六時中していないとアイデンティティーを獲得できないだなんていう滑稽な生き方しかできなかったのは、ただ彼らが「僕」「わたし」という意識の在り処について敏感だっただけの話だけど、でもそうした生き方を選んでしまう人が確かに存在するような曖昧な世界に僕たちは生きているということでもある。
 もしも僕たちが、無意識にだったとしても、他の誰かの人生をなぞっているとしたら、それはやはり僕たちがとてつもなく大きな存在に操られ、手の平の上で踊らされているということになるのだろうか。生まれてくることを選べない時点で、もしかしたらそういうことなのかもしれない。だから人生に悲観した人は、「好きで生まれてきたわけじゃない」「子どもは親を選べない」とか言ってしまう。運命という言葉があるのは、何ひとつ選択することのできない人生と折り合いをつけるための言い訳に過ぎないのかもしれない。それでも、もし何かひとつでも、僕たちが他の誰かのものでしかないかもしれない人生の中で、「選択」と呼べる大胆な行為を果たすことができるとしたら、それは誰よりも自分のそばにいて欲しいと願う「君」という存在との出会い以外には考えられないのではないだろうか。もしも神と呼ばれる存在が、僕たち人間に愚かさを演じさせるためにこの世界を作ったのだとしたら、とことん愚かになってやればいい。それこそ、例えばアデルが「世界に伝えようとしても、あなたに届かなければ意味がない」と歌ったように、あなたが冒した唯一にして最大の選択との間に世界を作り上げてしまえばいい。そばにいて欲しい誰かがいるのなら、あなたは運命のすべてを選んでいる。

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