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リアル・スリム・シェイディとか一緒に歌った

僕が中三の頃、
我が家にはカナダ人の女の子がホームステイに来ていて、
彼女が日本からカナダに飛び立つときに、
僕は当時大好きだったデュラン・デュランの
“オーディナリー・ワールド”の歌詞を英語で書いて、
まるで僕が書いた手紙であるかのようにして彼女に渡した。

エミネムとかが好きな女の子だったから、
デュラン・デュランとか絶対知らないだろと思って渡したら案の定バレなくて、
「幸大、あなたは詩人なのね!」と青い目をキラキラさせられて、
罪悪感をまったく感じなかったことを今も覚えている。

ジャケットが好きなんだな。
ジャケットのイメージで『ウェディング・アルバム』として通っているけど、
実際にはセルフ・タイトルだったりする。

The Wedding Album
/ Duran Duran

Duran Duran-Wedding Album
過去も未来も、どこかではなく、ちゃんとここにある
 デュラン・デュランといえばやはり80年代、マイケル・ジャクソンやマドンナらと共にMTV全盛期を築き上げたポップ・アイコンのひとつだが、そんな輝かしき時代が彼ら当事者に与えた疲労感は当然のように尋常ではなかった。商品としての価値のみを問われ続け疲弊したデュラン・デュランの斜陽期は80年代後半から始まり、本アルバムの前作にあたる90年作『リバティ』においては、本人たち曰くただドラッグにハマッていた記憶しかないという。本作冒頭を飾る“トゥー・マッチ・インフォメーション”は「MTVにダメにされた俺。恩を仇で返すのはいやだけど、情報が多すぎる」という恨み言から始まっている。それでもやはり本作がただの不満の捌け口や独りよがりな現実逃避といったありがちな甘えに終わっていないのは、“カム・アンダーン”も確かにいい曲だが、なんといっても普遍の名曲“オーディナリー・ワールド”の存在がデカいと思う。アイドルとして華々しいステージの上のみならず日常生活までも厳しく縛り付けられた彼らの歌う“オーディナリー・ワールド(=普通の世界)”とは。それはつまり、普通の世界なんてどこにもなくて、それと同時に、どんな世界だって普通の世界でしかないというパラドックスである。要するに、人生など、薄い紙切れ一枚の表と裏のような些細なものでしかない。彼らは歌う。「ありきたりな世界へなんとか辿り着こうとするにつれ、僕は生き延びていくことになるんだ」。この曲は、それがたとえ凄惨なものであったとしても、自分の過去をきちんと引き受けて未来に飛びたとうとするかのような、大きな翼を力強く広げてリスナーを受け入れてくれる。もう二度と戻れはしない過去、失われた未来――そんなものに悲観してちゃいけない。ちゃんと現在を生きられない人間には、ちゃんとした過去もちゃんとした未来もない。それはすなわち、過去も未来も、霞むような遥か彼方ではなく、あなたがいる「ここ」に、間違いなくあるのだと。

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