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リアル鬼ごっこ

確か、このアルバムを発表する一ヶ月くらい前に、
スーパーボウルでの「おっぱいポロリ事件」が勃発して、
アルバム発表当時、三ヶ所のCDショップを回るとそのうちの二店で
「新作もポロリと出しちゃいました!」みたいなポップが書かれていて、
かなり笑ったことを今も覚えている。

でも本作のブックレットのジャネットの笑顔は、
『オール・フォー・ユー』のそれに比べたら幾分に作り笑いっぽい。

もしもすべてが幻想なら、
あなたは誰の瞳に映る幻想の自分を信じますか?
ってこと。
誰の瞳に映る幻想の自分なら満足に騙されますか?
ってこと。

Damita Jo
/ Janet Jackson

Janet Jackson-Damita Jo
自分自身という幻想を追って
 ジャネット・ジャクソンのフルネームは「ジャネット・ダミタ・ジョー・ジャクソン」といって、本作のタイトル『ダミタ・ジョー』は彼女自身のミドルネームから取られている。彼女はここで、「TVで見かけるあの人物が素顔の私だと思う?」とリスナーに問いかけながら、世界中に知られているポップ・スターとしてのジャネット・ジャクソンとは違うひとりの女性としてのダミタ・ジョーを打ち出そうとしている。出世作『コントロール』が象徴しているように自らを律することでこそ独特のグルーヴを発揮してきた彼女だが、本作ではかつてないほどの剥き出しの言葉によって、ひとりの女性の内に渦巻く思いや欲望を赤裸々に告白している。表現者がその想像力を働かせる時、最も手に負えない素材は間違いなく「自分自身」という存在だと思う。僕たちは、いったいどれだけの根拠と確信をもって自分自身のことを理解していると言えるだろう。おそらくその人の人格を最も雄弁に語るであろう「顔」と直接対峙することのできないたったひとりの人間、それが自分だ。最も近くにいるようで、最も遠くにいるのかもしれない他者としての自分。それを対象化させる作業は、言うまでもなく困難だ。あえて極端なことを言うが、自分が何者かわからない、どこにいるのかさえわからないのなら、それは、「自分」だなんて存在はどこにもいない、という結論と果たしてどれだけの違いがあるだろう。そう、僕たちひとりひとりがそれぞれに思いを馳せる「自分」という存在は、結局のところ都合の良い幻想でしかない。本作が極めて優れたダンス・ミュージックの収められたレコードであることは認める。“R&Bジャンキー”とかはっきり言ってめちゃくちゃ好きだ。でも、例えば『ヴェルヴェット・ロープ』の頃の、去っていった「あの人」の瞳にかつて映っていた「自分」こそを強烈に信じ込もうとしていたあの頃の、聴き手を黙らせる圧倒的な何かがやはりここに欠けているのは、これが彼女ひとりによるセルフ・ヌードでしかないからだ。虚飾というベールを暴かれたり脱がされたり剥がれたりしたところに真実が宿るのではない。なぜなら、真実とはつまり、騙されても構わない嘘に他ならないからだ。

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