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あの子の考えることは変
/ 本谷有希子

群像
騙されてもいい嘘がある
 第141回芥川賞候補作。昨日の発表で、結果的に今回の芥川受賞作は磯崎憲一郎の『終の住処』に決定したわけだけど、講談社の『群像09年6月号』(写真)に掲載された本谷有希子の本作は選考会では二番手につけていたほどの高評価だったらしい。『群像』を買って読んだ時にはもうべらぼうに面白いと思ったし、以前『生きてるだけで、愛』で候補作に選ばれたものの受賞を逃しているだけに是非とも今回は、という気持ちもあったのだけれど、やっぱり無理だった。でも、「直木賞はエンターテインメント、芥川賞は純文学」とはよく言われるけれど、もしその選考基準が本当なら、本谷有希子はそもそも芥川賞を受賞するべきではない。「純文学」という言葉が具体的に何を意味するのかは知ったことではないし、個人的な意見でしかないけれど、脚本家を生業とする彼女はむしろ純文学とは明確に隔たれた外野の作家だ。それは、そんなプロフィール的なものよりも、実際の作品を読めば一発でわかる。芥川賞選考委員の山田詠美も本作には「小説でやるべきではない」という的確な辛口コメントを寄せているけれど、猛烈にユーモラスで人の笑いのツボを完全に押さえた彼女の作品は小説よりもやはり舞台の脚本としての機能性の方が確かに抜群に高い。でも、彼女がやはり正当な小説家ではない、そうあるべきではない、と判断せざるを得ない理由は、彼女は自分の作品の中で、結局のところ、同じことしか書けていないというただその一点に尽きる。捨て犬に「絶対」と名付け絶対服従を誓わせた江利子(『江利子と絶対』)、女優を目指したわがまま娘の澄伽(『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』)、鬱で生きてるだけで疲れてしまうダメ女の寧子(『生きてるだけで、愛』)そして本作の主役である自分を臭いと思い込んでいる日田と好きな男を独り占めするために怪物に仕立て上げようとしている巡谷というふたりの女の子は、創作と呼ぶには余りにも本谷有希子その人すぎる。この人は、フィクションで、私小説を書いているのだ。そしてそこに登場する女の子は皆、本谷有希子自身が恐らくそうであるように、バカなくらいに自意識過剰で、救い難い女の子ばかりだ。でも、そんな救いようのない彼女たちは、必ず最後の最後で、厚かましくも、いじましくも、「希望」と呼べるものの手応えを手にして帰っていく。「親なら子どものために苦しめ!」とまで言ってイイ気になろうとする本谷有希子。そんな明らかに間違っている彼女はだからこそ嘘をつく。どんなに間違って失敗した人間だって物語を持っている。それは、「純文学」と呼ぶにはやっぱり陳腐過ぎるけど、とても狂おしく愛しいものなんだ。

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