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手塚治虫のは『時計仕掛けのりんご』

A Clockwork Orange
Stanley Kubrick-A Clock Work Orange
あなたが自分という欺瞞を肯定する時
 71年の公開から現在まで常に「禁断の……」という枕詞と共に語り継がれてきたスタンリー・キューブリック監督の超問題作。ジーン・ケリー“雨に唄えば”を口ずさみながらのレイプを始め、思いつく限りの背徳を体現したような刺激の強すぎる作品である。少なくとも、僕はこんなにも混乱した映画作品を他にひとつも知らない。これが自由だとでも言うかのように、反逆児アレックスは己の肉欲や破壊衝動といった狂気の行方をまったく制御しようとはしない。放蕩する狂気とそれをどうにかコントロールしようとする政府という全体主義。管理された全体がひとつの狂気を恐れる時、そこに表れる構図とは、狂気による正気の侵食であり、すなわち支配である。そして、支配とは言うまでもなく制御であり、秩序の生成に他ならない。あらゆる主義主張と欲望によって混乱した世界を丸々呑み込む巨大な混沌とは、それそのものがすでにひとつの秩序なのだ。そう、僕たちはどれだけ自由を行使したところで、結局のところ、時に自分自身の、狂気や想像力といった実態なき概念によってコントロールされている。あなたは、暴力やレイプが許されるべき行為でないことを知っている。しかし、この映画を観て、ここにいったい何が描かれているのかを理解しないままだったとしても、そこに何か漠然としたカタルシスを感じるのであれば、あなたはもはや自分自身を信じることなどできないはずだ。すでに狂気という抗い難い欲望を自身の中に内包してしまっていることを、あなたはこの映画を通して否応無しに気付かされる。自分がどうしようもなくねじれていることを。間違っていることを。そして僕たちは、暴力を、レイプを、窃盗を、拘束を繰り返し、世界に正しいものなどひとつもないことをひとつひとつ確認していく。「オレンジ」という超天然でさえ「時計仕掛け」であるという激しく倒錯したタイトルが最高に利いている。しかし、だからこそ僕たちはこんな紛い物の世界にたったひとりの「あなた」を求めている。「あなた」という愛すべき偽者を。騙されても構わない欺瞞を。それがたとえ狂気だったとしても。

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