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仮面に隠された顔が見える

Eyes Wide Shut
Stanley Kubrick-Eyes Wide Shut
見えないものが見えてくる
 実際に夫婦でもあったトム・クルーズとニコール・キッドマンという超大衆的なキャスティングが話題を呼んだ本作は99年に公開されるやいなや世界的なヒットを記録するが、監督を務めたスタンリー・キューブリックはその公開を待たずして同年に他界している。キューブリックのフィルモグラフィーを辿ることは、革新的な映像美の記録をめくることであり、同時に狂気の歴史を紐解くことでもある。キューブリックは62年の『ロリータ』ですでに偏執的な愛という狂気を取り上げているが、一般的には夫婦間の愛情を描いたとされている本作が暴いた狂気の愛は、『ロリータ』で描かれた「人を愛し求めること」から生まれる狂気とは本質的に違ったものである。そもそも狂気とはいったいどのようなものを指すのだろうか。それは例えば、こちらの生活がどのようなものであるかなどとは関係無しにテレビで公開される戦場の風景、いつも笑顔で挨拶を交わす誰かの表情が突如として鬼のような形相へと豹変する瞬間、などといった、同じ世界の中で発生している出来事にも関わらず日頃は目にすることのない事実が、日常の脈絡など無視して強引に提示される一瞬の戦慄である。すなわち、「見えないものが見えてくる」ということだ。だから、都会の一角のベッドルームで交わされるセックスや町外れの森に建てられた屋敷で行われる乱交パーティーは本来「見えるもの」であるべきではないし、つまりそれはすでに狂気と呼ばれるべきものなのだ。そんな、常に「見えないもの」であるべきセックスという男と女の様々な愛の表情を暴き切った本作は、日本では当然のようにR-18の指定を受けている。当然である。なぜなら、狂気は感染するからだ。しかし、他者から暴力的なまでに与えられる狂気からでさえ、僕たちは瞳を閉じるだけで、自己を閉じるだけで、簡単に逃げることが出来る。狂気は感染するからこそ恐怖なのではない。瞳を閉じれば閉じるほど、より大きく、より明確に「見えてくるもの」がある。嫉妬、猜疑、欲望――。本当に恐怖すべき狂気とは、自ずとあなた自身の中で生成されるものなのだ。『アイズ・ワイド・シャット』。こんなにも精度の高い言葉を僕は他に知らない。

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