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僕にも何か名前をつけてよ

へび女が燃える家の上で炎に炙られるときの表情が泣ける。
愛だぁ。

大丈夫。
大丈夫だから。
うまくやれなくても妖怪になれば大丈夫だから。
人間としてうまくやれなくても妖怪として生きていけるから。
だから大丈夫。
僕が君をたったひとりの妖怪にしてあげるから。

楳図かずおが言っているのは、そういうことなんだと思う。

へび女
/ 楳図かずお

へび女
妖怪・楳図かずお
 日本には妖怪に関する様々な言い伝えが存在しているが、そのほとんどが江戸時代に始まったものだという。江戸時代には戦乱の終息とそれに伴う社会の安定から多くの文化・学問・思想が急速に花開いた。つまり、価値観が多様を極めた時代なのだ。そんな時代に、様々な妖怪が爆発的な勢いで誕生している。幾多の価値観が交錯し、急速に文化が発展すると、そこに生まれるのはマニアでありオタクである。要するに、良くも悪くも物事の優先順位を間違ってしまった人々である。『小豆洗い』という妖怪がいる。その正体については諸説あるが、僕は、これは小豆を洗うこと、もしくはそれに似た何かに何らかの快感を得てしまった人に対して周囲が気味悪がってつけた蔑称なのではないかと思う。いくら想像力が豊かになった時代とはいえ、特定の「誰か」を指しているとしか思えないほどにこれは具体的過ぎる。すなわち、妥協の余地すらないほどの圧倒的なマイノリティ。社会という全体に馴染めない個人。それはすでにひとりの妖怪なのだ。
 本作は66年に『週刊少女フレンド』という講談社から発行されていた漫画雑誌に連載され楳図かずおをホラー漫画の第一人者として世間に認知させた出世作のひとつ。楳図かずおの描く女性は皆妙に艶っぽい(エロな意味ではなく、爬虫類的な恍惚)と思うのだが、本作に登場する「へび女」はまさにそれの代表といった感じで、笑い顔とかちょっと引くくらい怖い。内容は“ママが怖い”“まだらの少女”“へび女”というひとりの「へび女」を巡る三部構成になっているのだが、時系列を巧みに操る構成トリックには思わずハッとさせられてしまった。しかし、本作のキモはやはり「へび女」と呼ばれる女性が、「自分がへびだと思い込んでいる女性」という設定であるところだ。これはもはや楳図作品のクリシェというかフォルムというか、とにかく本質的で重要なところだ。そう、「思い込み」なのだ。何かを思い込むこと。周りが見えなくなるほど何かを猛烈に信じること。それはつまり、他人が共通して信じるものを信じない、もしくは、他人が信じないものを信じる、ということを必然的に意味している。そしてそれこそを僕たちは「背徳」と呼び、排除の対象とする。自身のトレードマークである赤と白のボーダーシャツを「囚人服」と呼ぶ楳図かずお。妖怪として生きるということは、つまりはそういうことなのだ。

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