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ダメだダメだ

来年の春に公開予定の映画『すべては海になる』で、
柳楽優弥とサトエリがダブル主演を務める。
二人とも大好きな人だ。
絶対に観なきゃと思う。

秋深き
秋深き
愛だけは永遠でいて欲しいのに 
 もちろん本来はそういう意味ではないけれど、「僕と一緒のお墓に入ってください」という今や滑稽でしかないこの古典的なプロポーズは、ある意味では「僕と一緒に世界を終わらせてください」と言い換えることができるのかもしれない。「世界が終わるその時に立ち会ってください」と。仏壇屋のひとり息子(八嶋智人)が人気ホステス(佐藤江梨子)に向かってお揃いの位牌を渡してプロポーズするシーンを観てそう思った。モリッシーはかつて「もしも二階建てバスが僕らの車に突っ込んできたら。あなたの側で死ねるなんて最高に素敵だな」と歌った。大好きな誰かと二人きりで終わらせる世界。それは確かに甘くロマンチックな最期なのかもしれない。
 秋の深まりとは、枯れ果てる草木の茶色であり、消失する寸前の灯火であり、つまりは喪失である。失われる風景に切なさや侘しさやといった情緒と呼ばれる絶妙な感情を託すことで、ひとつの重大な喪失さえも僕たちは感動的な何かへと変換しているのだ。この映画における秋の深まりは愛するあなたとの別れと同義である。だが、当事者はその深まりの部分に気付けない。当たり前である。去っていく愛する人を前にして「切なさと悲しみが……」なんて呟いて悦に入っているやつはただのバカである。当事者はいつだって全てが終わった後に真実を耳打ちされる。愛する人をなんとかここに繋ぎとめるために自分が新興宗教の奇跡の壺にまで頼り始めていたその時に、本当はもっと大切にすべき何かがあったということを。ただ足元を見つめるだけで良かったということを。そこには本当の愛しさがあったのだと。しかしすべては後の祭り。二人で終わらせるはずの世界はロマンチックな終焉を迎える前に破綻する。なぜなら愛とは狂気そのものだからだ。二人きりで終わらせられる世界などそもそも最初から存在し得ない話なのだ。しかしだからこそ人は、崩れ落ちた世界の瓦礫の中から、それでも続くべき何かを捜し求めようとする。すべての青葉がやがて地面に揺れ落ちるのと同じように、すべての愛はいつか必ず引き裂かれる。でもそれで良いのだ。愛だけが完全無欠である必要なんてどこにもない。愛は秋と同じくらい深いし優しいし嬉しい。ただ秋よりも愛の方が欲しい。だからこの映画は哀しい。

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