FC2ブログ

卑屈は鬱で痛いからもう止めたんだ

Slumdog Millionaire
Slumdog+Millionaire++Poster.jpg
物語とは、それそのものがすでに希望なのだ
 僕たちの人生は、たいていの場合、劇的なものにはなりえない。むしろ、欠伸が出るほど平坦な道程だと思っていたのに、気付いた時には以前と比べて随分と低い場所で立ち尽くしていたりする。変化に乏しい退屈な毎日の繰り返しだと思っていたのに、気付けないくらいのゆったりとしたスピードで、ジワジワと追い詰められていたりする。僕たちの人生には明確な起承転結なんて配置されてはいない。いつの間にか始まっていて、振り返れば終わっている。始まる前に終わってしまうことだってある。小説やドラマになんてなり得ない人生。それは単なる表現の話ではなく、事実としてそうなのだ。僕たちがそういったあらゆる種類の物語に魅了され続けるのは、やはりそれこそが僕たちの人生に決定的に欠ける要素だからだろう。
 『クイズ$ミリオネア』。その舞台がいったいどういう場所かと言うと、それは僕たちの人生に物語を作る場所である。全問正解を果たした時の震えるような喚起は、それがたとえ金銭的な話でしかなかったとしても、間違いなく「ここで何かが変わった」と思わせる、人生に重大な楔を打ち込む決定的な出来事だろう。ご存知の通り、ダニー・ボイル監督最新作のこの映画では、そんな華やかな場所には半ば場違いとも言えるスラム街出身の無学の青年が現れる。当然博識なわけがない。しかし彼は、多くの難問に、運でもカンでもなく、人生で答えていくのだ。その時、彼の背後では、どこに続いているのかわからない長く大きな河がそれでもやはり最終的に海というひとつの結論に辿り着くように、断片的でしかないと思われた人生がひとつの物語へと結晶化されていく。彼はクイズに答えながら、他の誰でもない、自分のものでしかあり得ないひとつの物語を語り出していくのだ。そして、そこで語られる物語とは、インドの極貧スラム街で生まれ育った少年にとっては何ら特別な風景さえも感じさせない、出口の見えない日々のひたすらな繰り返しでしかない。彼の人生に特別な何かがあったとすればそれは、大好きな女の子がいた、というそれでさえ究極なまでに普遍的な出来事以外の何物でもないのだ。だとすれば、この映画が伝えることはたったひとつである。そこにたとえ人を狂わせるほどの金額が書き込まれていたとしても、ひとりの人間が自分のすべてを懸けてでも肯定する誰かへの思いが、一枚の小切手なんかより薄っぺらなわけがないじゃないか。そんなことが、あっていいわけがないじゃないか。
 そして、ダニー・ボイルが、その名を世に知らしめた90年代の傑作『トレインスポッティング』で描いていたことも、やはりそういうことなのだ。セックスとドラッグとアルコールと暴力に身を沈めた90年代半ばのスコットランドに生きる少年少女の常に絶望と隣り合わせの日常を描きながらも、多くの当事者たちから絶大な支持を集め、彼らがそこに希望を見出せたのは、やはりそういうことなのだ。退屈で絶望的で屈辱的でクソったれな負け犬の人生にだって、始まりも終わりも見えないような人生にだって、明確な分かれ道なんてない行き止まりだらけの人生にだって、物語はあるのだと。ミリオネアに挑戦するまでもなく、そうなのだと。それはもしかしたら、社会に何ひとつ利益をもたらさない役立たずの物語でしかないかもしれない。しかし、あなたにはあなたにしか語れない物語が絶対にあるべきである。そして、そこには希望が約束されていなくてはならない。なぜなら、僕たちは生きているのだ。物語とは、あなたが今間違いなく生きている証拠である。
スポンサーサイト



00:07 | 映画 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
愛の人になりまする | top | ほんわかぱっぱ

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://overtheborder.blog64.fc2.com/tb.php/765-57614c6b