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僕の親もセンセーなんですけどね

失礼なこと言います。

小一の頃、ひらがなの練習で、僕は「ゆ」がうまく書けなかったから、
宿題では1ページだったけどいつもより多く2ページ分「ゆ」の練習をして
ノートを提出したら、次の日に1ページ分の僕の「ゆ」が消しゴムで消されて返って来た。
1ページの宿題なのに2ページやってきたから担任の先生が消したらしい。
そりゃないよセンセー!

小二の頃の担任は、ホームルームの時間に、
正式な名前は忘れたけど「チクリ合い」みたいなことをさせるのが好きで、
「今日悪いことした人はいませんか~?」と楽しそうにクラスのみんなに訊いて、
「幸大君に髪の毛をひっぱられました~」とか言う女の子がいると、
僕はみんなの前で叱られて、みんなの前で「ごめんなさい」と頭を下げさせられた。
それも毎日だよセンセー!

小三の頃の担任は、
休み時間にクラスのみんながグラウンドでドッジボールをしているのに、
僕ひとりだけ教室で毎日迷路を描いているとかいって本気で心配していたらしい。
通知表はどうして明るい人だけを評価するんだろうとその時から疑問だった。
僕を明るく壊してよセンセー!

一番嫌いだったのは
僕を罵ったり暗いとか捻くれてるとか言ったりするのと同じ口で
友情とか道徳を語り始める小六の頃の担任だった。
まぁそんなこと当時は考えてなかったけど。
このやろうコイツなんでこんなに明治天皇に似てるんだよ
って社会の本見ながら思ってたと思う。
僕のキレイな気持ちを返してよセンセー!

センセーって不思議だなぁ面白いなぁって思います。

鈴木先生
/ 武富健治

鈴木先生
漫画を疑え、教師を信じるな
 最初はとても面白かった。げりみそに酢豚。「うちのクラスは議論が活発です!ただしテーマは給食だけー!」なしょーもないところが気に入った。『鈴木先生』の魅力について、多くの人が「どこまでがギャグでどこまでがマジかわからない」ということを挙げている。「ギャグ」と「マジ」。しかしそれらの要素は並列関係で使い分けられていたのではなくて、少なくとも個人的には、給食や恋愛における危機をまるで世界の崩壊のように憂い、真剣に悩み抜き、最後には「新たな夜明け」なる大袈裟なものまで迎えてしまっている、その「ギャグ」みたいなどーでもいいことに「マジ」になってしまう異様なまでの過剰さが面白かった。僕の知っている「教師モノ」のイメージを鈴木とげりみそが打ち砕いていく――。それは多分、とてもラジカルなことだったんだと思う。
 でも、巻を進めるにつれて、なんかキナ臭くなってきた。中学校を舞台に巻き起こるシリアスかつデリケートな様々な問題の核心を、正論や良識さえも押し退けて抉るその手法は新しいと思うし、描写の過剰さはむしろどんどん増してきていて刺激的だ。でも、僕にはどうにもこの漫画、今はひどく読み心地が悪い。文化庁メディア芸術祭の漫画部門で優秀賞を受賞した時の作者のコメントを見たのだけれど、要するに、この漫画における「ギャグ」はあくまで読者との親和を図る手段であって、目的は「マジ」なのだと。問題提起が悪いことだとはもちろん思わない。心情的過ぎて申し訳ないけど、でもだからいったい何なのか、と思う。芸能人がカンボジアに学校を作ろうとするのといったい何が違うんだろう。芸能人や漫画や教師から人生の重さや命の大切さや誰かを思いやる優しさなんて教えてもらいたいとは思わない。そんな、マジで冷めますって。世界はおろか、ひとつの教室さえも、ひとりの読者さえも救わない、時に救おうとさえしないからこそ漫画は面白い。そして、とても個人的なことを言うなら、漫画がそうであるのと同じように、教師なんてとことん間違っていて良い。生徒からの信頼が厚い教師? そんなもん腹黒くない政治家と同じくらい胡散臭い。少なくとも僕の世界では。
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