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ポーニョポーニョポニョパピプペポ

ポー如
早くポニョのDVD出せー!
遅い、遅すぎるぞー!

『紅の豚』は完全に趣味の作品だから除外するとして、
宮崎駿の作品に出てくる女の子たちはみんな、
他のキャラクターよりも、魔法、自然、全能に近い。

生命と心を通わせるナウシカ、
浮島ラピュタ帝国の血を引くシータ、
大人には見えないトトロと出会うサツキとメイ、
空飛ぶ宅急便屋さんキキ、
森の奥深くで獣に育てられたサン、
迷い込んだ不思議な世界で神と出会う千尋、
ハウルの側で様々な魔法を目撃したソフィーは微妙な立ち居地だったけど、
それがポニョで雲が晴れたようにハッキリした。

魔法の力を失うことを、それもまた良し、としたポニョ。
キキが、一度失った魔法の力を取り戻すことで辿り着いた希望の場所。
ポニョが、魔法の力を捨て去ることで辿り着いた希望の場所。
いい年したおっさんの単なる妄想と思われがちだけど、
それでも少しずつ、どこかに向かっている。

ポニョのDVDがなかなか出ないせいで
不健全な映画観ちまった。

SAW 5
SAW5.jpg
密室の解き方
 シリーズ初期は制作費も少なくどちらかというとアイディアの面白さで勝利した『SAW』シリーズだが、作品を重ねるごとに制作費は激増し、その変質的な世界観を損なわないままにセットやストーリーは手の込んだ刺激的なものへとことごとく更新され、昨年公開されたいつの間にかのシリーズ五作目である本作では、もう初っ端からイタイというかツライというか吐きそうというかとにかく自分の眼を潰してしまいたくなるような、もはや痛快ですらないグロテスクなシーンが展開されるが、本作から監督が変わったことが影響しているのか、やはり頃合を見計らうようにして苦痛の大波が襲い掛かるものの、ただただ残酷無比なシーンが繰り返された全二作に比べるとオン・オフの切り替えがはっきりしていてまとまった印象を受けた。それでも、観終わった時の、体中の内臓という内臓を片っ端から洗浄してやりたくなるようなドロドロした不快感は不変。もーこんなに不快にさせてどーする気ー!?と叫びたくなること必至である。
 でも、『SAW』の一番の理不尽さは、そんな激烈なグロさよりもむしろ巧みなストーリー性の中にこそある。時間軸を無視して自在に切り貼りされた断片的な物語。嘘はつかないが明確な真実は最後まで提示しないという思わせぶりな展開。そんな、計算高く組み立てられたストーリーのトリックによって、僕たちはどれが本物なのかわからない恐ろしく根本的な不安感を抱えたまま、手の届かないところから事件を目撃することを強要される。『SAW』のそんな逃げ出せない理不尽さに、僕はいつも「密室」を感じる。窓ひとつない徹底された密室を、僕たちはいかにして解体することができるのか。密室を解くカギとなるものは、決まってひとつの盲点である。そして、盲点とは、今目の前にある何かを疑うことではなく、いつだって今目の前にない何かを認めることによってこそ導き出される。ジグソウのゲームに強制的に参加させられた登場人物に問われる思考力も、そういったものだ。『SAW』というタイトルには多くの由来があるとされていて、その中には“seesaw(=反転)”というものがあるという。血を見たくなければなんとかして密室を打開しなければならない。これはひとつのヒントである。すべての意味を反転させよ。
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