FC2ブログ

本気の人間をナメてたら必ず痛い目に合う

れザボア
映画の意味って何だろう。
映画が伝えられる最高のエンターテイメント性って何だろう。
タランティーノは、そう考えたことがあるんだろうか。
多分、あるんだと思う。
ものすごく本気で。

それで、気付いたんだと思う。
映画に意味なんてなくても良いということに。
で、傑作デビュー作『レザボア・ドッグス』は完成したんだと思う。

ロバート・ロドリゲスもそうだったのかな。
この二人、『シン・シティ』でも一緒に仕事してます。
ロドリゲス監督の『プラネット・テラー』では、
タランティーノも役者として参加してアホやってます。

Planet Terror
planet terror
テメェだけの正しさを撃ち抜け
 オイルショックとか地球温暖化とかで何度もヤバイヤバイ言いながらも世界がなんとかギリギリの状態で未だに「世界」としての秩序を保っていられるのは、「集中力」がきちんと働いているからだと思う。もちろん勉強やスポーツにおける集中力のことではない。目下最注目の若手芸人が勢い任せの歌手デビューや役者デビューをせずに、きちんと笑いに徹する。そういう「集中力」である。要するに、世の中には、「やらなきゃいけないこと」と「やっちゃいけないこと」と「やってもいいこと」と「やらなくてもいいこと」があって、たとえ「やっちゃいけないこと」と「やらなくてもいいこと」に対して無駄な労力を使わないように注意したとしても、「やってもいいこと」ばかりに手を伸ばして「やらなきゃいけないこと」をおざなりにしてはいけない、ということだ。わかりやすく言うなら、人にはそれぞれその人にしかできない役割がきちんと用意されている、ということだ。だから、腹黒い政治家がきちんと不当な政治献金を募って、金と暇を持て余した有閑マダムがきちんとおフランスに出かけたりお紅茶を嗜んだりして、それぞれの「集中力」を発揮してきたからこそ世界は今日も平和なのである。常識も良識も結構だが、すべての場所にまったく同じ規範が通用するとは限らないのだ。日本の小学生がみんな英語勉強し始めたらマジで世界おかしくなるって。小学生には小学生だけの「集中力」があるんだから。
 だから、別にロック・フェスの収益を恵まれない国の子どもに寄付する必要もスチュワーデスさんのことを「客室乗務員」だなんて回りくどい言い方する必要も、実はそんなものはどこにもないのだ。ロック・フェスは第三世界の心配なんてしないでロック・フェス然としていれば良いのだしスチュワーデスさんはグッド・スメルを振りまいてスチュワーデスさん然としていれば良い。友愛も平等も寄付も公正も正義もどれも正しいけれど、物事には「優先順位」というものが必ずあるのだ。最近あんまり顔を見かけなくなったあの中年女性芸人は100kmマラソンなんてやってる暇があったら次の必殺ネタを考えるべきだった。彼女が「集中力」を発揮すべき場所はそこだったはずだ。そういうことなのだ。そして、ロバート・ロドリゲスは言う。映画の希望を信じる者にとって、スクリーンを赤黒く染める大量の血ノリとナイスバディなねえちゃんのファッキンビッチなケツの穴は常識も良識も友愛も平等も寄付も公正も正義もそれらすべてを圧倒的に超越して「正しい」と。
スポンサーサイト



02:23 | 映画 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
サムシング・ライク・ア・フェノミナン | top | やべ、書き始めたらついつい長くなった

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://overtheborder.blog64.fc2.com/tb.php/717-04b1f72e