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友愛ではなく、歌わなければならない者のポップ・ソング

モリモリモリッシー
長いブランクを経て00年代に入り完全復活してからというもの、
モリッシーはジャケ写で必ず何かを手に持ってポーズを取るようになった。

復活作の『ユー・アー・ザ・クワーリー』ではトミー・ガンを、
繊細すぎた『リングリーダー・オブ・ザ・トーメンターズ』ではヴァイオリンを、
そして最新作では赤ん坊を抱きかかえて不敵な笑みを浮かべるモリッシー。

なぜ赤ん坊なのか、
モリッシーの説明を読んだけど、
要するに、モリッシーはすべてを拒絶するけど、
自分が人間である、というその点だけは拒絶しないということかな?
拒絶しない、と認め、妥協、と表現するモリッシー。

モリッシーは壊滅的なまでに寂しがりやだけど
結局は誰にも理解なんてされたくないんじゃないかと思う。

Years Of Refusal
/ Morrissey

Morrissey-Years Of Refusal
モリッシーの本質的な強さ
 トニー・ヴィスコンティをプロデューサーに迎え、アートワークではヴァイオリンを手に極端なナイーヴさを演出しながら、時に大袈裟なほど叙情的に神の股間を歌い上げた前作『リングリーダー・オブ・ザ・トーメンターズ』。幼くしてすでに世界の大きさを把握したかのような表情を浮かべる赤ん坊を抱えての最新作となる本作は、そこから大きなシフト・チェンジを遂げている。前作ではオーケストラによるセッションが大々的に取り入れられていたが、一曲目“サムシング・イズ・スクイージング・マイ・スカル”のイントロでギターがうねりを上げた瞬間、本作におけるモリッシーはすでに雄々しく攻撃態勢である。そしてそれに続く「お願いだからやめてくれ!」という拒絶の連呼。「拒絶のお年頃」というアルバム・タイトルからして明らかなように、徹底的なまでの「拒絶」で横溢したアルバムである。本作で、モリッシーは大切なはずの「あなた」さえも拒絶して、石と鋼でできた固く冷たいパリの町だけを抱きしめると歌う。それだけが自分を受け入れてくれるから。モリッシーは常に疎外感と孤独を歌い続けてきた人だが、だからといって彼が求めてきたものは慰めや同情といった悲しみを癒す優しさなどではなかった。彼が求め続けてきたのは、世界から疎外され、居場所も見つけられず、そんな世界に憤り、傷つき、絶望した自分を、そのままで抱きしめ受け入れてくれる「もうひとつの世界」だった。スミスという楽園を失った彼にとってそれ以降のソロ・キャリアのすべては居場所なき自分にも呼吸のできる安全地帯を獲得するためのひとつのプロセスだった。やはり現在も不平不満タラタラの通りモリッシーの歌はそう簡単にはメディアで堂々オンエアというわけにはいかないだろうが、世界の一部として仲良く溶け込むことで孤独を解消するのではなく、「もうひとつの世界」に立ち上がることに拘り続けた結果として、「拒絶」という他の誰にも辿り着けない境地でモリッシーはひとり佇んでいる。世界の埒外から聞こえてくる、すでにひとりぼっちの人間による「僕はひとりでへっちゃらだ! ほっといてくれー!」という叫びの弱さ。つまり、「僕を忘れないでー!」と叫ぶ強さ。5年後には音楽業界から引退か?というニュースも流れているが、とりあえずモリッシーは09年も元気モリモリである。
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