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That's The Way Thora Birch Goes

thora Birch
YUKIのライブDVD、見事ゲットしました。
が、見る時間がない。
東京に行く前にどうせ大阪通るんだから実家帰ろうと思って、
今日から帰ろうと思うのですが、
こっちにいるうちにやらなきゃいけないことがある。
東京から帰ってきたらゆっくり楽しもうと思います。

春休みになってから、
寝る前には必ず映画を観る生活をしているのですが、
昨晩は『アメリカン・ビューティー』という作品を観ました。
僕の大好きなソーラ・バーチが出てる!

アメリカ社会をコミカルに批判した作品と思われてるのかな?
ノンノン、そんなのはこの作品の描いている希望を
矮小化させる陳腐な評価だ。
間違ってもユダヤ人賛美の映画なんかじゃない。
アメリカ批判はこの映画の「手段」であって「目的」ではないのだ。

要するに、
ファッション・マガジン、ハンバーガー、高級ソファ、スポーツ・カー、
ロックンロール、ナチスの皿、仕事、そしてアメリカ。
そんなところに、「あなたはいない」という希望だ。

American Beauty
American Beauty
アメリカン・ドリームに中指を立てる勇気を
 アメリカ人はその呼称の後ろ四文字を何よりも信じるという。“American”の後ろ四文字。すなわち、“I can”と。そんな圧倒的なオプティミズムを背負った民族であるアメリカ人による最も偉大な発明は、マイクロソフトでもロックンロールでもなくアメリカン・ドリームだと思っている。アメリカという雄大な大地に広がる夢と希望と自由と平等の姿形を実に見事になんとなく実在化してみせた史上最強のイマジナリー・スタチュー。人民の人民による人民のための集団催眠効果によってすべての人民が幸せになれるはずのアメリカで、惨めな毎日を送る負け犬たち。本作における登場人物は、そんな非常に愉快な連中ばかりだ。みんなそれぞれのダメっぷりを時にコミカルに演じているのだが、ソーラ・バーチだけはガチにリアル・ルーザー。もちろん恋愛や学業や仕事についてではなく、人とは違う「自分」を持っている、という意味において。彼女の存在は決定的かつ致命的に孤立している。そして、ただその一点のみにおいて、やはり彼女はひとりじゃない。
 人は、モノの大きさを比べるのがとても苦手だと思う。アリとコンパスのように目の前の何かと何かを比べることは難なくこなせるようだが、自分と遠くの何かを比べる作業はどうやらとても困難なようだ。19世紀ポスト印象派を代表する画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは自身のある作品の中で、夜空に輝く星々のひとつひとつをまるで一輪の花のように描いている。パラドックスにこそ究極の真実があるだなんてことが言いたいのではない。小さなようで大きなもの。大きなようで小さなもの。人間は、その曖昧な何かの全体像を見定めるのが極めて苦手だと言いたいのだ。自分たち人間自体が、決して確固たる存在でないにも関わらず。いや、だからこそ難しいのかもしれない。曖昧な僕たちが遠くにある曖昧な何を測ることは許されない行為なのかもしれない。だとしたら、僕たちがまずやらなければいけないことは、「測れない」ことを知ることだ。だからこそ自分のちっぽけな「マイ・ドリーム」がみんなのでっかい「アメリカン・ドリーム」を楽勝で凌駕するかもしれないことを知ることだ。何かが変わるとしたら、その後でしかない。

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