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表現じゃなくて実際に誰かと繋がるためにYUKIの歌を聴いてきた

ランデヴー
/ YUKI

YUKI-ランデヴー
音楽が鳴り止むその時に
 CDショップにて。いつも洋楽しか聴かない僕にはあんまり馴染みのない「JAPANESE」のコーナーで、「Y」ではなく「ゆ」の場所を探し、「YUI」の隣にお目当ての名前を見つける。でも、そこには僕の欲しかったCDが置いてあったのであろう形跡はあるものの、CDそのものは置いていなかった。あちゃー。先に誰か買っちゃったのかどうしよう、と思いながら、それでも勇気を振り絞って店員に訊いてみたらまだ在庫があるという。あんまり知らない人としゃべるの得意じゃないけど勇気出して良かったな、なんて若干浮かれながらも無事に購入し、お店から出てすぐに家に帰ろうと思ったら、邦楽のCD買ったり自分から店員に話しかけたり慣れないことばかりしたせいか思った以上に興奮していたらしく、上りエスカレーターを下ろうとして危うく転げ落ちそうになった。危ない危ない、冷静に冷静に。気持ちを落ち着かせたところで重大なことに気が付いた。CD買って安心していたけどそういえばライブDVDも同時発売だった。再びあちゃー。同じお店にもう一回行って買い直すなんてなんか恥ずかしい。めんどうだけど違うお店に行こう。
 嬉しいことはなかなか続いてくれないのに、嬉しくないことは逆に嬉しくなっちゃうくらい続いてくれたりする。次に入ったお店でも、DVDは店頭に並んでいなかった。でもさっきはうまく行ったし今回も大丈夫、そう言い聞かせて店員に訊いてみた。「すみません、予約分しか入荷してなくて店頭分はないんですよー」。三度あちゃー。仏の顔も三度までとはよく言うけど、あれは三度目で仏でさえも怒り出すという意味だろうか、それとも三度目までは許してもらえるのだろうか。とりあえず、僕にわかったことは、三度目の正直よりは二度あることは三度あるだということだ。その日はもうDVDを買うのは諦めた。もう一度店員に話しかける勇気も体力も残っていないし、なによりもしまたあちゃーをやってしまったら、仏が確実に怒り出す四度目になってしまうし仏じゃなくても僕だって自分のふがいなさに怒り出しそうだ。触らぬ神に祟りなし。そういうことにしておこう。
 そんなわけで、僕はYUKIのニュー・シングル『ランデヴー』を見事にゲットし、ニュー・ライブDVD『YUKI concert New Rhythm Tour 2008』を買い損ねた。天は二物を与えず。もうしつこい。

 “ビスケット”や“メッセージ”などこれまでのYUKIの楽曲と同じように、新曲“ランデヴー”はやはりタイトルが伝えるイメージ通りの、お菓子箱に両手をつっ込んだようなキラキラでスウィートなYUKIお得意のポップ・ソングだ。『joy』以降YUKIが展開してきたポップ・ワールドを更に楽しいものにする素晴らしい楽曲である。こういう歌を歌わせたらYUKIの右に出る人はいないし、YUKIもずっと歌い続けるんだと思う。でも、そう思えば思うほど、昨年発表されたシングル曲“汽車に乗って”が、僕の中でどんどん居場所を失っていくような気がする。華やかなポップ・ワールドで踊り続けるYUKIが、たった一度だけ踊ることを止め、自分の故郷を顧みた“汽車に乗って”。あの歌はいったい何だったんだろうかと思う。YUKIは、なぜあの歌を歌わなければいけなかったのか。
 “汽車に乗って”発表直後のライブでYUKIは、言葉は正確には覚えていないが、「これまでは自分じゃないところでみんなが歌える歌を歌ってきた」と語っていた。そして、“汽車に乗って”はみんなが求めるポップ・スターとして歌い続けてきた彼女が「自分に戻る」ための「リハビリ」なのだと。そんな自分回帰を唱えたYUKIの、そのライブ以来最初の新曲となったのが昨年末にクリスマス・ソングとしてリリースされた“メッセージ”だったわけだが、“メッセージ”は配信限定という僕には思いもよらぬリリース形態がとられた楽曲だった。「自分に戻る」とまでハッキリ宣言したYUKIが、配信「限定」というみんなに届かないスタイルで、“汽車に乗って”以前となんら変わらないポップ・ソングを歌っていた。僕はショックだった。それで良いのかと思った。“汽車に乗って”が最初からなかったものにされた気がした。でも雑誌でもネットでも誰も僕の思いを代弁してくれる人なんていなくて、テレビつけたらチョコレートのCMのバックでいかにも楽しげに“メッセージ”が流れていたりして、僕だけ完全に置き去りにされたような気がした。歌っていうのは楽しげだったらただそれだけでこんなにも簡単に人の心に届いたような気になってしまうのかと思った。欺瞞だと思った。YUKIが配信限定で楽曲を発表したのはまだ二回目だったけど、それでも僕は、心情的に、完全にキレていた。そういえば、ご存知の通り僕はまだ買えていないけど、YUKIの新しいライブDVDは5565円もするらしい。僕が貧乏学生だという分を差し引いたとしても、絶対に高すぎる。配信限定の“メッセージ”なんて200円かそこらだったのに。要するに、ライブDVDなんてファンしか買わないしファンは絶対に買うだろうから高くても良いってこと? だからあの店でも予約してまで買おうとするファンの分しか入荷してなかったってこと? 夢もロマンもないじゃないか。あるのは政治家の汚い腹みたいなエゴと欺瞞ばかり。でもそれが現実なんだ。そうなんだ。YUKIが歌っているのは、そもそもそういう場所だったんだ。
 だからこそ、だ。そうだ、だからこそ、YUKIは“汽車に乗って”を歌わなければいけなかった。スーパーに並ぶトマトみたいに自分が売り物にされる世界で、それでも誰かと出会うために、それでも歌い続けるために。YUKIのような言葉に対して極めて意識的な人が他でもない自分自身を歌うことについて「リハビリ」という言葉を使ってしまった時点で、『joy』以降急速に変化してきた自分を取り巻く環境への戸惑いやフラストレーションが彼女の中に少なからずあったことは否定し難い。広く大きな場所へ踏み出していけば、支持や共感と一緒に誤解だって当然のように大きく広がっていく。しかも、YUKIはJUDY AND MARYとして一度はキャリアの頂点を経験している人である。同じじゃないにしても似たようなストレスはかつてもあったのではないだろうか。でもだから、YUKIは“汽車に乗って”を歌うことで、かつてとは違う未来を手にしようとしたのではないだろうか。海外という新しい世界へ、自分の言い分が通用しない世界へ、不安を抱えながら、それでも今まさに飛び立とうとしている女の子が、搭乗ゲートをくぐった後に、ふとこちらを振り向く時のように。新しい世界への入り口を前にして、自分には帰るべき場所があるということを再確認するかのように。
 だとしたら、僕にできることはいったい何だろう。少なくともそれは、意気地の悪い世界へ中指立てることでも取りやすいところから税金を取ろうとする政治家みたいにファンに高額なDVDを売りつけてくるレコード会社に異議申し立てを行うことでもない。もしまたYUKIがボロボロに傷ついて、「もう歌えないわ」とうなだれて帰ってきたその時に、もっと頑張れと励ますでもなんでそうなんだと叱咤するでもなく、「それでいいんだ、また一から始めれば良い」とただ頷いてやることなんじゃないだろうか。そうさ気持ち悪いさ。なんとでも言えば良いさ。

 新曲“ランデヴー”のビデオの中で、電飾で飾り付けられた幻想的な世界から、YUKIはこんな風に歌っている。

    例え暗い星の見えない夜でも その名前呼ぶから
    目には見えない不思議なサイン 綱渡りのランデヴー
    歓びも哀しみも 人の行く道 寄り添っているから
    笑わせたいな 特別なキスの魔法で 君を守ろう

 ポップ・ミュージックは現実逃避だとよく言われる。僕は、残酷な現実世界に苦悶の顔を浮かべるシリアスな歌なんかよりも、断然ポップ・ミュージックが好きだ。YUKIの“ランデヴー”を聴いて、僕はポップ・ミュージックがまた少し好きになった。電飾というハンドメイドな虚構の世界から歌われるこの言葉を、僕はまだ信じることができる。星も見えない真っ暗な夜に、それでも誰かと出会いたい、君を守ってみせると歌うリアリティ。こんなにも強く自分の現実を受け止めて、顔も名前も知らない無数の「君」に向かって、あなたはひとりじゃないと歌う、こんな真摯なポップ・ミュージックを僕は他に知らない。 
 
 暗い星の見えない夜。厳しい現実の風が吹くところ。
 すべてが打ちのめされるその場所で、それでも終わらない何かがある。
 音楽が鳴り止むその時に、ひとりぼっちは寂しすぎるから。過去でも未来でも彼方でもあっちの世界でもない「すぐ隣」に、誰かがいて欲しいと思うから。僕はただその一点のみにおいて、YUKIと繋がっていたいと思うから。

 明日はDVDを買いに行こう。また買えなくても良いや。七転び八起きだ。
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17:52 | 音楽 | comments (4) | trackbacks (2) | page top↑
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コメント

#
こんばんは★
いわちゅと申します!
素敵な新曲が届きましたね。
どんな暗闇でも発光を止めることはない楽曲♪
幸大さんの繊細なレビューも読ませていただき、
『ランデヴー』だけでなくYUKIの良さも
改めて実感しました^^

私のブログで一部引用させていただきましたが、
差し支えありましたらご指摘ください><
by: いわちゅ | 2009/03/03 23:31 | URL [編集] | page top↑
#
私は天に二物を与えられたよ!
はははー!

でもお金はすごい飛んでった。
おっかねー。

よーし。
私のブログでは全部引用・・・
・・・冗談です。笑

日に日に真面目なことが言えなくなってきていて泣きそうです。私は別の世界に足を踏み入れかけているのかも。
by: ま★ | 2009/03/04 08:33 | URL [編集] | page top↑
# いわちゅさんへ
はじめまして!
“ランデヴー”、いい歌ですね。
みんなが求める何かの中に
自分だけのポップを見つけ出したような、
ここ数年のYUKIを見ていて思うことはそういうことです。

引用してもらって全然かまいませんよ!
差し支え、まったくありませんので!笑
by: 幸大 | 2009/03/04 14:39 | URL [編集] | page top↑
# ま★へ
二兎を追うものは一兎をも得ずっていうのは嘘やね!笑

ねえねえ、昨日、あるホラー映画を観て思ったんやけど、
世界は迷路で出来てるんじゃないかってことで、
大きな世界でも小さな世界でもそこには迷路があって、
上から俯瞰したら一発で全部が把握できるはずなんやけど、
俺らはあくまでその迷路の中にしかいなくて。
迷路って、入り口と出口がちゃんとあって、
そこを通り抜けるまでに、通らない道とか行き当たらない角とかもたくさんあって、
中にいる人は、自分が通ったところしか把握し得なくて、
だからその人が描ける世界は、その人が知ってる通りと角と行き止まりだけで、
それだけがリアリティなんやっていう。

だからもしかしたら、
俺の家っていう世界には、
俺の知ってる通りと角と行き止まりと、
俺の知らない通りと角と行き止まりとがあって、
俺がこの家のことを知ってる気になってるのは、
ただ俺はこの家っていう世界の迷路の
入り口と出口がどの道を通って繋がっているかを知っているだけで、
決してすべてを知ってるわけじゃなくて、
例えば俺の知らない通りとか角とか行き止まりには、
もしかしたら俺の知らない女の子が住んでたりとか、
30年前に死んだはずの人がいたりとか、するのかなぁって。
それは決して霊的なものではなくてね。
ただ、俺が知らないだけ。

人と人が関わるのは、
ふたつの迷路が重なったり、
一方の迷路にもう一方の迷路の住人が迷い込んだりすることなんかなって。
で、例えば、一方の迷路に“redrum”って名付けられてる通りがあったとして、
本来のその迷路の住人は、入り口と出口の結び方を知ってるから、
いつもこっちからあっちへ、“redrum”って読みながら進むんやけど、
何も知らない他の迷路の住人が迷い込んだ時には、
こっちからあっちじゃなくてあっちからこっちにその道を通っちゃって、
“redrum”通りを“murder”通りにしてしまうんじゃないかって。
“redrum”は「決して殺すな」、“murder”はもちろん「殺人」ね。
正気と狂気の差っていうのは、たったそれだけなんじゃないかって。
いつもと同じ道を、ただ逆に進むってことたったそれだけなんじゃないかって。
誰かがいつもはそこにある扉を開けながら進むのに、
そこに初めて迷い込んだ別の誰かが、開いていた扉を後ろ手に閉めながら進んじゃうこともあるかもね。
もしそこが開かれた扉によってひとつの通りとして繋がってて、
そこが“マクドマルド”通りって呼ばれてたとしたら、
誰かが扉を閉めてしまったせいでそこは
“Mac(=おい、きみ)”、“怒鳴るど”になって混乱しちゃうかもね。

だから真帆が真面目なこと言えなくなってきてるのは、
真帆が真帆の世界の知らない通り・角・行き止まりに足を踏み入れちゃったからかもしれないしいつもの通りを逆に進んでるのかもしれないしもしかしたらいつもより早いスピードで通ってるのかもね!
“シリアス”が“尻”に、“真面目”が“豆”になったりしてるのかも笑

そして何より俺の名前、
“幸大”=“こうだい”=“koudai”は、
かき混ぜられると“kaidou”=“かいどう”=“街道”になってしまうのです笑
ロマンチック街道!
そうだ!
おれはロマンチック街道なんだ!
それが俺の迷路、世界。
ウェルカム・トゥ・マイ・ロマンチック街道。

・・・・・なんて本気で言い出したらそろそろやばいけど、
それもアリかな、なんて笑
てか長々とくだらないことをすまぬ。
書き始めた時は思いつきやったのにこんなに長くなった;;
知らない人が見たらへんなやつと思うやろうね・・・

最後に、“松尾真帆”=“matsuo maho”の迷路を高速で駆け抜けると、
やっぱり“maho”になります。強いね笑
“松尾”通り=“matsuo”通りを逆さまに進むと“oustam”通りに。
“oustam”=“oust(=追い払う)+am(=一人称)”と考えて、
“私を追い払う”通りになります。
そう、高速で進んでもギリギリ“maho”でいられるのに、
逆に進んだら“松尾”は自分を失うそうです。
“maho”通りも逆に進むと“oham”=“おハム”になります。
ハムがちょっと丁寧なのが唯一の救いですね笑
自分を失って、おハムにならないよう、お気をつけて。


なんてね!
ちょっとそれらしいやろ!笑
by: 幸大 | 2009/03/04 15:37 | URL [編集] | page top↑

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