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後輩にいつも暇人だと思われてるのが悔しい

文庫
今日は本当に久しぶりに何の予定もない正真正銘の休日としての日曜日。
でも今日も朝早くから起きて音楽聴いて
ブックオフ行って文庫本買ってきてずっとそれ読みながら過ごしている。

今は舞城王太郎の『山ん中の獅見朋成雄』を読んでいる途中。
本を読むのは致命的に遅いから、
今日は三冊ぐらいまでしか読めないかも。

そういうわけでレヴューは今日一番最初に読んだ吉田修一の『パレード』。
対象化して、次に進む。
BGMはモリッシーのソロ作品垂れ流し。

パレード
/ 吉田修一

吉田修一-パレード
「私」、が、「ここにいない」、恐怖
 パレード、と聞いて僕がまず思い浮かべるのはディズニーランドの華やかなアレだったりするのだが、軍事パレードなんかを考えてみるとイメージはだいぶ違うな、というかほとんど真逆だな、と思う。同じ軍服に身を包んだ無数の男達が一糸乱れぬ動きで通りを行進するその姿は、勇ましくもあり、時として怖いほどに美しい。それはまるで道草食ったりせずにひたすら働き続けるアリの大群のようで、そこには間違っても笑顔のネズミは登場しない。そこでは皆が平等に、働きアリになることのみが求められている。笑顔のネズミなんかが混じっていたら、ガァガァやかましいアヒルとかおっちょこちょいな犬とかもそれに便乗して現れて、勇ましさや美しさどころではなくなってしまうから。そしてそれはまるで、交通ルールを無視する車が一台でもいたら交通事故が起こってすぐに混乱が生じてしまう、そんな僕たちの日常生活そのものではないか。ネズミとかアヒルとか犬なんていうのは、結局のところファンタジーでしかない。
 決して自分のすべてを曝け出す必要のない、見せて良い部分だけを見せれば十分にやっていける、そんな居心地の良い空間で共同生活を送る五人の若者たち。要するに、上辺だけの関係。しかし、彼らがそんな生ぬるい関係性を築いてしまったのは、ただ単に僕たち人間はそうでなければ他者とうまく関わっていけないから、というシンプルな理由に収まってしまう。「自分のすべてを曝け出せば相手も心を開いてくれる」なんて熱血教師みたいな訳のわからないこと言う人を、僕はちょっと信用できない。関わる相手によって自分の口調や態度を変えるのは当然のことだし、僕たちが大人から教わってきたことで役に立つことと言えばそういうコミュニケーションにおける巧みなテクニックぐらいのものだ。しかしそれは、自己の言動を決定するのは他者である、という風に言うことができるのではないか。相手や状況によって自己を変えることのできる僕たち。僕たちは、「無数の自己」を持っている。つまり、僕たちは自分の中に「確固たる自己」を持っていない。なぜなら、そんな「無数の自己」はすべて、僕たちの言動を決定する「無数の他者」の中にこそあるからだ。僕たちは、そもそも「曝け出せる自分」なんて持ってはいないのだ。でもだから、だからこそ、自分に「確固たる自己」の存在を感じさせるために、「確固たる他者」としての「たったひとりのあなた」を、僕たちは切実に求めているのだと思う。僕たちは誰も、笑えないアリになんてなりたくはないから。
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