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相手と向き合うということは自分を見つめ直す行為だから

センチ
オノ・ヨーコに興味を持ったのはなぜだろうか、と我ながらに不思議。
YUKIがオノ・ヨーコについて語っているのを何度か読んだことがあるからかな。
他に思いつかないから多分そういうことなんだと思う。

写真はYUKIのシングル『センチメンタルジャーニー』のジャケット。
写真の中のYUKIはいつだって語り始める。

YUKIとオノ・ヨーコ。
受け手を絶対に置き去りにしない二人。
表現とはそもそもそういうものであるべきだけど、
この二人ほどそこの部分に意識的な人はいない。
僕がとにかくポップ・ミュージックを好きな理由も、
もしかしたらそこにあるのかも。

Instruction Paintings
/ Yoko Ono

Yoko Ono-Instructing Paintings
「対話」でアートは始められる
 オノ・ヨーコが62年に行った展覧会の内容を一冊の本にまとめた作品。とは言えここに収められているのは絵画などのわかりやすいアート作品ではなく、例えば「任意の二点に穴をあける。空の見える処にかける(“空を見るための絵”)」といった簡潔なインストラクション(=指示)のみ。そう、絵を完成させるのは他でもないあなた自身なのだ。実際に紙を用意して指示通りに絵を作るのも良いし、頭の中で想像するのも良い。どちらにしてもかなりワクワクの作業である。これを展覧会でやったのだからすごい。この奇抜なアイディアに当時の観覧者たちも相当に面食らっていたようだ。
 オノ・ヨーコは自身のアートを常に「パフォーマンス」として捉えている人だ。ジョン・レノンとベッドの上でイチャついてるイメージしかない人もいるかもしれないが、あれですら「ベッド・イン」という平和を訴えるためのパフォーマンスだったのだ。つまり、彼女の作品はどれも受け手の存在が前提となっているということであり、アートは最終的に受け手の介入によって完成されるべきであるということだ。そこにはもちろん他者と他者がお互いの存在を肯定し想像力を交し合うことで「愛」や「平和」に繋がっていくという彼女のしたたかな平和主義がしっかりと貫かれているし、それが結果ではなく意識のレベルで働いているからこそ彼女の作品はどれも押し付けがましくなく、それでいて力強いのだ。他者に語りかける彼女のアート作品としては、実際に様々な指示を呈する本作にはいささか単純すぎる印象を受けるかもしれない。彼女自身この青き時代の自分を振り返って「痛ましい」とまで語っている。そして、だからこそここにはオノ・ヨーコの原点のようなものを感じずにはいられない。そして、それは同時にアートそのものの出発点とも言えるかもしれない。そう、アートを始める時、そこにはキャンバスも筆も、別に必要ではないのだ。そこにはただ、「私」と「あなた」がいるだけで十分なのだ。なぜならアートとは、「私」と「あなた」による想像力と想像力のコミュニケーションなのだから。難解な図形や奇抜なデザインなだけの作品を僕はアートと認めない。そんなところから希望は生まれない。
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02:21 | | comments (2) | trackbacks (0) | page top↑
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コメント

#
すんごいおもしろそうです!!!
この本!!!

読んでみます(@゚▽゚@)ってゆ~より観てみます!!!

私、YUKIちゃんのPVでセンチメンタルジャーニーとプリズムがメッチャ好きなので、ジャケットを見た瞬間に、ついコメントしてしまいました!!!(゚Д゚*)!!!
失礼しました~☆
by: hisako | 2009/02/26 03:31 | URL [編集] | page top↑
# hisakoさんへ
はい、すごく面白かったですよ!
他のオノ・ヨーコの作品も観たくなりました!
「読み終えたらこの本を燃やしなさい」
という『グレープフルーツ・ジュース』も読んでみたいです。

プリズムもいいですね。
勘違いかもしれませんが、大塚愛の何とかって曲のビデオとセンチメンタルジャーニーのが激似だったのでビックリしました。
僕はスタンドアップ!シスターの回るYUKIが好きです~!
by: 幸大 | 2009/02/26 16:17 | URL [編集] | page top↑

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