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ショック・ホラー!

ザ・ヴュー
もし自分がバンドをやるなら。
僕はザ・ヴューみたいになりたい。

Which Bitch?
/ The View

The View-Which Bitch
変わったか変わってないかはわからない。でも、ここに嘘はない
 ヴューのロックは思い出である。それは、スタイルが伝統的なロックンロール然としていて懐古的だとか自分がもっと若かった頃に経験したようなことを彼らが歌っているとかそういうことでは決してなくて、もちろんそういう側面も確かにあるのだが、なんというか、ヴューのロックには明日がないのだ。よく聴いてみて欲しい。彼らのロックが輝かしい明日なんて楽観的な未来を描き出したことは一度もない。みんなが着飾る中で、ひとり四日間も同じジーンズを穿き続けている自分に幻滅し、それでも多分また同じジーンズ姿で、前に進もうとする連中である。そこには希望がある。でも明日はない。それがいったいどういうことかというと、彼らが前に進もうとする原動力のようなものが、決して「明日があるさ」的な彼方への思いではなく、自分の中にすでに横たわっている何かに端を発するものだということだ。自分を自分たらしめる何か。それは誇りやプライドかもしれない。はたまたコンプレックスやトラウマかもしれない。絶対に手放せないもの。突破すべきもの。忘れたいもの。何でもいい。とにかく、ヴューの歌は絶対にそんなところからしか始まらない。というか、ヴューはわざわざそんなことを歌う。音楽的には大胆にネクスト・レベルに踏み込んだこのセカンド・アルバムでも、ヴューは未だにそんなことをいちいち歌っている。ストリートというどこでもない場所で歌っていた頃と比べたら明らかに開けた景色を前にした今も。
 本当にリアルな歌はギミックもトリックも何にもなくたってそのリアルさそのものが圧倒的な輝きを放つ。ではいったい何をもってその歌は「リアル」となり得るのか。それは、そこに「人がいる」というたったひとつの事実それだけである。現実社会の暴かれた実態などではないのだ。一発で聴き手をガツンと打ちのめすリアルさとは、歌い手の「自分」を汗も手垢も何もかもと一緒になすりつけた歌のことである。歌うということは、自分の背負っている思い出を燃やし尽くす行為なのだ。もちろん灰に還すという意味ではない。魂を売らずにロックがやれてたまるか、と言いたいのだ。思い出を燃やすだなんて、辛い過去を引きずっているのと実はあまり大差ない。でも、それのいったい何が悪い? 何か勘違いしていないか。人間は、経験値を上げてレベル・アップして次の自分を獲得するだなんてメカニカルな成長は絶対にできない生き物である。明日の自分は次の自分なんかじゃない。明日の自分でさえ今の自分である。明日なんてわからない。何かが変わるかもしれないし、何も変わらないかもしれないし、何も変わらないようで何か変わっているのかもしれないし、何かが変わったようで何も変わっていなかったりするのかもしれない。僕たちが生きているのはそんなどうしようもなく連続した今日である。だから、思いっきり「自分」を引きずってやれば良いのだ。何度だって思い出をめくって喜びなり悔しさなり悲しみなりを噛みしめてやれば良い。飛躍的な作品だがヴューはやはりヴューでしかない。ヴューが歌い続ける限りあなたはひとりじゃない。このアルバムはそういうアルバムである。
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