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No.06

Consolers Of The Lonely
/ The Raconteurs

The Raconteurs-Consolers of Lonely
天才が才能を抑えないとこういうことになる
 ジャック・ホワイトという人を語る時に真っ先に思いつくことは、彼がホワイト・ストライプスの一員であり、彼こそがバンドの本質であるということだ。ベースを一切使わず、ギターとドラムだけを前提としたストライプスのロックに満たない音楽。そんなバンド・コンプレックスを自ら抱え込んだストライプスを実質的にたったひとりで推進してきたジャックの創作エネルギーとプレッシャーが並大抵のものでないことは容易に想像がつく。
 そして、ジャックのもうひとつのプロジェクトであるラカンターズとは、必要以上に集中力を必要とするストライプスの活動から一時的に解放されて、極めて自然で衝動的なロックンロールを楽しむための一種のリハビリだったはずだ。前作発表時には彼自身そう語っていたし、あのアルバムの空気感が肩の力の抜けたイイ感じにグダグダなものだったのは、つまりそういうことだ。それが、本作ではどうだろう。冒頭曲“コンソーラーズ・オブ・ザ・ロンリー”の激しくのた打ち回るような超然としたロックンロールぶりはいったい何だろう。「ダディ、お話を聞かせて」という小さい女の子の話し声に始まり、ある一家の悲劇の物語の結末で幕を閉じる本作は、余りにも明確なコンセプト・アルバムである。本来ガス抜きであるはずだったラカンターズの活動で、膨大な構築力を必要とするコンセプトを意識してしまった時点で、もしかしたら本作におけるジャックはもうすでに狂っていたのかもしれない。
 現在の音楽シーンで、ジャック・ホワイトという才能ほど扱いにくいものはない。ホワイト・ストライプスの核、狂信的なブルース信者、卓越したプレイヤビリティ……ジャック・ホワイトという輪郭を作る断片はいくらでも挙げることができる。でもその断片はやはり、本質にはなり得ない文字通りの断片でしかない。僕たちは、この才能を落とし込むのに都合の良い場所を、未だに見つけられずにいる。存在感は圧倒的なのに、その圧倒的さ故に彼は明らかに居場所を失っているのだ。そして、本作でその引き裂かれた距離はまたしても広がってしまったと認めざるを得ない。まるで突出しすぎた才能の相棒のように付きまとい続けてきた彼の孤独は、その救済のために、誰かの心と共鳴するために、その才能の切っ先を更に鋭く磨き上げてしまった。その先端は、結局のところ僕たちの心をまっすぐに貫くだけで、何かに優しく包み込まれるようなことはないだろう。そう、彼が才能の切っ先を下ろさない限り、彼の孤独は永久に終わらない。世界を超越した天才が、世界から正当に理解・評価されることなどもはやあり得ないのだ。彼が本作で「コンソーラーズ・オブ・ザ・ロンリー=孤独を癒す者たち」なんてものを歌い自分に向けられる不理解を憂いでいるのは、そういうことである。そして、それは彼なりの世界に対する求愛でもあるのだ。もっと僕の傍に寄って、僕の物語を聞かせるから、君も僕に物語を聞かせておくれよとでも求めるかのように、彼は自分だけのブルースを歌う。それはやはり、どうしようもないくらい切実なコミュニケーションなのだ。なぜならその求愛は、結局のところ彼を更なる孤独に追いやるだけなのだから。誰かと繋がるために、誰かの目に留まるために、派手な化粧を施しておどけたふりをする孤独の道化師。たがが外れたかのように本作で才能を爆発させまくっているジャック・ホワイト。彼のやり場なき悲しみは、そこにこそあるのだ。
 ジャック・ホワイトという孤独の天才が、『コンソーラーズ・オブ・ザ・ロンリー』という求愛を叫んでいる。それはまるで、彼の運命そのものを表しているようではないか。そして、ジャックは歌っているのだ。果てしない孤独を引き連れてでも、ブルースを歌うことは絶対に止めないと。
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