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No.04

All Hope Is Gone
/ Slipknot

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スリップノットの本質を問う渾身の傑作アルバム
 各国のチャートでトップ3入りを果たしスリップノットの異型の存在感を世界中に知らしめた大出世のセカンド・アルバム『アイオワ』。あのアルバムがスリップノットのキャリアにおける最高の隆盛であり続ける限り、彼らの目指すべき高みは『アイオワ』の「その次」だと言うことができる。そして、『アイオワ』という世界の悪意と憎悪をグチョリとこね回したような混沌の極みが、無意識に「鳴らせてしまった」カオスだったからこそ、ワールドワイドな成功によってそのカオスの凄みと手応えを知り、意識してしまった彼らは当然のようにそこからギクシャクし始めた。解散というバンドの終焉と隣り合わせのままなんとか完成まで漕ぎ付けたサード・アルバム『Vol.3』。それまでバンドの内側に眠っていた多彩なメロディやリフを呼び覚まし『アイオワ』とは違った魅力をバンドから引き出した快作と一般的には評価されているようだが、正直それがいったい何なのかと思う。新しいアイディアは結構だが、バンドの本質的な部分がスッカスカに抜け落ちてしまっていったいどうすんだと思う。初めてあのアルバムを聴いた時の猛烈に裏切られた感じは今でもちゃんと覚えている。
 あれから四年。はっきり言って新作には何も期待していなかった。バンドが空中分解したみたいに九人のメンバーは散り散りになってそれぞれの別プロジェクトに打ち込み始めていたから、新作が発表されるということ自体期待していなかった。もうみんな好き勝手やってくれよ、と思っていた。スリップノットなんてもうどうだって良かった。そんな愚痴めいたことすら考えないようになっていた08年、『オール・ホープ・イズ・ゴーン』は届けられた。
 一言で言うなら、『アイオワ』のカオスが持つ極端なイビツさを意識的になぞろうとしたアルバムである。08年を迎えた今、バンドに『アイオワ』をもう一度作ることができるかどうかを確かめようとしたアルバムである。消極的に聞こえるかもしれない。しかし、本作における彼らの出発点はそこでなければならなかったのだ。『Vol.3』発表以後、解散は免れたもののメンバーはスリップノットを一時停止させてしまっていた。スリップノットを、離れすぎてしまっていたのだ。メジャー・デビュー以来初めて地元アイオワでレコーディング作業が行われた本作。生まれ故郷という原点に立ち返り再びスリップノットを起動させたメンバーにとって、本作は九人がもう一度スリップノットとしての比類なき叫びを上げられるかどうかを懸けた極めて重要な作品だった。『アイオワ』によってこれ以上はない極点を刻んだスリップノットというバンドに、それぞれが一時離脱してしまったスリップノットというバンドに、それでも鳴らさなければならないカオスは残されているのか。世界への憎悪というマグマのような赤黒いエネルギーは未だ残されているのか。本作の製作過程は、その確認作業でもあったのだ。
 本作は、バンドのキャリア史上初めてメンバー全員が曲作りに参加したアルバムだという。始めの構想の時点で、すでにメンバー全員が積極的にひとつのものを作り上げようとしたアルバムだということだ。当然、実演でのバンドの機能性は、高くなる。それぞれのメンバーが生み出すサウンドの噛み合わせは、良くなる。そのことが結果的に一部のリスナーからは気に入らない点になっているようだ。要は、きれいにまとまり過ぎ、ということだろう。『アイオワ』の頃はもっとグチャグチャメチョメチョだったのに、ということだろう。言いたいことはわかる。だから、もう一度グチャグチャメチョメチョになるために彼らがここを一旦通過しなければならなかったということも、わかって欲しい。
 一見、込み上げてくる狂気を制御できなくなってしまった狂人集団のようにも思えるスリップノットだが、その根底にある彼らの思いや思想は意外すぎるほどに健全で、ロジカルで、知的で、そして勇気に満ち溢れている。“ピープル=シット”という人間とクソを同列で並べる気違いじみた叫びの本当の意味は、「世界はクソ、人間はクソ、だからできることといえば、どうにか変わろうともがいてみることだけ」という己の無力さや絶望を放棄しない力強さだ。スリップノットが本当に狂っていて、ただブラッディでヴァイオレンスな叫びを上げて喚き散らしているだけのバンドだったら、『アイオワ』のような傑作アルバムはそもそも作れなかっただろうし、衰退の一途を辿るヘヴィ・ロック界の厳しい現実の中で今日までメジャー・シーンを生き抜くことなんて不可能だったと思う。偽者はすぐに見透かされる。本当に最後まで勝ち残ることができるのは、本物だけなのだ。どこの世界だってそうだろう。どうにも譲れないものを持っている連中は、やはり強い。 
 本作がスリップノットの最高傑作だとは思っていない。ただ、これは彼らがもう一度最高傑作を手にするための必然のプロセスだったということを強く主張したい。すべてがゴチャゴチャでチグハグでギクシャクしたところからスリップノットのカオスは始まらない。なぜなら、彼らのカオスとは、すべての狂気を反転させるためのエネルギーだからだ。こんな世界の中で僕たちが本当に狂ってしまわないために、すべての希望が消滅してしまう前に、スリップノットは再びグロテスクなマスクをかぶり世界の生け贄になることをここに誓ったのだ。多くのロック歌手が生ぬるい場所から真面目ぶった顔して「生と死」を歌い上げるこんなシーンの中で、本当の地獄の底で火を噴くかのように咆哮するスリップノット。その存在と地獄の継続の意味は、やはりとてつもなく重い。
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