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No.08

Folie à Deux
/ Fall Out Boy

Fall Out Boy-Folie a Deux
星月夜はついに本物の永遠となる
 ゴッホが死ぬ直前に弟のテオに宛てた手紙の一節、「星たちとその高さの無限を感じること、そうすれば人生はほぼ魅力的に映る」という言葉からアルバム・タイトルを引用した前作『インフィニティ・オン・ハイ』で一切の迷いを振り切ってみせたフォール・アウト・ボーイの新作が、極めてポジティヴなアルバムになることはある意味当然だったし、実際にその予想は見事に的中した。しかし、これはそんな期待を遥かに上回るとんでもない作品である。出世作『フロム・アンダー・ザ・コーク・ツリー』から『インフィニティ・オン・ハイ』への飛躍も凄まじかったが、そこから本作へ辿り着いた跳躍力はもっと凄い。「無限の高さ」はやはりその名のとおり限りの無い「無限」であり、彼らは今も上昇することを止めてなどいないのだ。
 前作で、R&Bのリズムを吸収し、メタル魂を爆発させ、ピアノやストリングスにブラスまで取り込みオペラ的な魅力さえも引き出し、格段の音楽的成長を遂げたフォール・アウト・ボーイ。本作でそれは更なる高みに到達していて、演奏もリズムもアレンジもパトリックのヴォーカルも、すべてがそびえ立つ壁をぶち破らんとする正面突破のエネルギーに満ち溢れている。メロディもこれは覚えるなという方がはっきり言って無理である。確実に逞しく大きな全体像へと広がっていくフォール・アウト・ボーイの音楽。前作を聴いたときにも確信したが、もはやエモなんて矮小なタームで括れる代物じゃない。今こそ、正当な評価を下すべきである。
 見事に全米ビルボード・チャートで一位を獲得した『インフィニティ・オン・ハイ』を通過し、ピートはポップ・アイドルのアシュリー・シンプソンとの結婚でゴシップ誌を賑わせる存在にまでなりあがり、フォール・アウト・ボーイを取り囲む環境はここ数年で目まぐるしい変化を見せた。いやらしい鵜の目鷹の目に包囲された世界の中心で一躍注目の的になってしまった彼ら。時として、大きな支持を獲得するということは、それと同時に大きな反感を買うことでもある。彼らが綻びを見せる瞬間を虎視眈々と狙う卑怯な輩の遍在する世界の中心で、そんな世界の愚劣さを暴露し告発するのではなく、本音を自己の中に封殺してしまうでもなく、彼らは「お前がどう思おうと知ったことじゃないぜ。俺次第のことに関してはな」「地獄か栄光か、俺はそれ以外の中途半端なものは何ひとついらない」「自分の問題を世界のせいにしてばかりいられない」「もう二度と、何も信じるものか」という余りにも危うい捨て身の突破宣言を高らかに歌ってみせたのである。
 本作タイトルの『フォリ・ア・ドゥ』とは、「二人狂い」という意味の言わば「感染する狂気」のことである。例えば、メディアが流した情報を真否も確かめずに余りにもすんなりと自分の知識として取り込んでしまい、それがまさに唯一の正解であるかのように披露してしまう受動者の視野の狭さ。そして、そんな歪んだ認識はいとも簡単に世界中に広がり、社会を追い尽くしてしまう。エコなんてそれのいい例だろう。そして、音楽とは常にそんな危険に身を晒す行為である。世界の認める正当性に沿って歌を歌うことなんて簡単である。それがあたかもみんなの歌であるかのように聴かせることも、簡単である。チャートの上位を占めるヒット曲なんて、そんなものばかりじゃないか。狂気は余りにも簡単に、驚くべきスピードで感染する。
 そして、フォール・アウト・ボーイは、俺たちはみんなの歌は歌わない、と歌っているのだ。みんなの歌は、決して俺の思いを代弁しないと。だからこそその歌は危うい。隙がある。ツッコミどころがある。綻びがある。当然、賛否両論が起こる。でも、それで良いのだ。大阪の橋本府知事は「賛否両論あるなら自分の思うようにやる」と言っていた。そうなのである。狂気に憑かれて正義の側からの正論を繰り返すだけの人間の言葉は他の誰の心にも届かない。ひとりの人生を根底から揺さぶることができるのは、「それでも続ける」という頑なな意思と勇気だけである。非難されてもいい。俺は俺の好きな歌を歌う。作りたいアルバムを作る。出したいときに出す(本作はアメリカ大統領選と同日に発表された)。それが本当のロックンロールではなかったのかとフォール・アウト・ボーイは僕たちをなじるのだ。無謀な挑戦かもしれない。それでも、僕たちはそこにしかない未来にどうしようもなく希望を抱いてしまうのではないかと。その「“ほぼ”魅力的に映る」人生を生きる、決してパーフェクトにはなりえない自分は、それでも希望の光を信じることができるのだと。信じる限り続く希望とは、言うまでもなく果てしない道程であり、無限の高さを極める闘いと激しく重なる永遠のような挑戦である。フォール・アウト・ボーイは、このアルバムで、その死ぬまで終わらない闘いの果てしなさを、ついに全力で引き受けたのだ。
 エモなんて、居心地の良い自己憐憫の涙に溺れているふりをするだけの一種のくだらないナルシズムである。それがあたかもみんなの共通の悲しみであるかのように見せる手品である。何度でも言ってやる。フォール・アウト・ボーイは、エモなんていう便利なジャンルじゃない。フォール・アウト・ボーイは、ロックンロール・バンドである。
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