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No.05

Viva La Vida Or Death And All His Friends
/ Coldplay

Coldplay-Viva La Vida
ロックンロールにしか描けない美しい景色がある
 これまで何度も言ってきたが、僕は『X&Y』以前のコールドプレイの歌が嫌いである。一時はコールドプレイのファンというだけで、そんな人のことは信用できなかった。あんなにも抽象的でぼやけた歌のどこが良いのかまったくわからなかった。いったいどこに向かうべき歌なのかが理解できなかった。宙ぶらりんの状態で放置されるような、気持ち悪い感覚。人間味のない平熱の低さ。それはオーロラみたく余りにも美しい景色だったけれど、それを違和感もなく「美しい」と認めてしまったら負けだと思っていた。僕たちは、自分たちの想像力を遥かに超越した圧倒的な何かを前にした時にのみ、「美しい」という非日常的な言葉を使うことができる。コールドプレイの音楽について、誰もが「美しい」と形容することしかできなかった。その「美しい」は、結局のところ「何も理解できていない」ということと同じなのではないかと思っていた。騙されたくなかった。
 コールドプレイの08年作『美しき生命』は、タイトルやジャケットが示すとおり、明らかなコンセプト・アルバムである。それがどういうことかと言うと、本作にはひとつの結論がある、という意味でもある。コンセプト・アルバムとはつまり、そこに収まるべくして作られたアルバムのことだ。抽象的な歌には無限の広がりがあるかもしれない。理解は聴き手の自由であり、それ故に普遍的であり、それはまさに永遠そのもののように思える。具体的な歌は、結論がある歌ということは、いつか終わってしまう物語だということだ。その歌には限界がある。無限ではないのだ。そう考えれば、具体性なんて儚いものに思える。答えなんてない方が良いのかもしれないと思えてくる。答えのない、終わらない、永遠に未来を紡ぎ続ける物語。だってそれは、余りにも美しすぎるじゃないか。
 しかし、ロックはそうはなり得ないのである。ロックは青春的な音楽だと言われる。大人の世界に踏み込む直前の、人生のほんの一瞬の猶予期間に芽吹いてしまった違和感を歌ったものがロックだとされるのならば、それはやはり神秘的な永遠などにはなり得ないのである。大人の世界になんら影響力を持たない無力な若者が大人の世界への違和感を嘆いてしまった時点で、ロックは恐ろしく無力なのだ。そこには、残酷なほどの限界があるのだ。しかし、それで良いのである。そんな無力な音楽が、それでも50年後の今もなお同じく役立たずな若者たちによって支持されているのならば、そこには、そこにしかない希望があるのかもしれないのだ。ロックが神ではない限り、究極的に、ロックは生も死も肯定などできない。無力な若者に、世界を始めることや終わらせることなんてそもそもできやしないのだ。それができないから、彼らはロックを歌わずにはいられなかったのだ。だとしたら、ロックにできることとはいったい何なのか。ロックにしかできないこととはいったい何なのか。
 それは、「それでも続ける」ということである。違和感を訴え続けても何も変わらないであろう世界を前にして、それでも歌うことを止めないのである。自分の限界を認めた上で、続けることを止めないことでしか救えない魂を、僕たちは「ロックンロール」と呼ぶのだ。完全な神秘に比べれば随分と頼りないものに映るかもしれない。続ける限り終わらないロックンロールの首の皮一枚の永遠とは、世界を救えない無力な自分が、神秘なんてとうてい描けはしない自分が、それでも最後に描けるかもしれない美しさなのだ。
 未来を遮断する死という圧倒的な恐怖に立ち尽くした後に、それでもまるで希望そのもののような響きで静かに起き上がる音楽がある。コールドプレイがここで初めて導きだした物語の結末は、そんな、紛れもないロックンロールの希望だった。
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