FC2ブログ

No.30~No.21

No.30
808s & Heartbreak / Kanye West

Kanye West-808s and heartbreak
迫真のハートブレイク・ストーリー
 嫌味なほどの高いエリート意識とプライドの象徴だったルイ・ヴィトンのバックパックを肩から下ろし、本作のカニエはスーツ姿でビシッと襟を正している。強い自己主張ラップも止めた。元婚約者との破局と最愛の母の他界という深い喪失感が本作でカニエを誠実にしたのは間違いない。ラップを止めたことで言葉数は減ったが、だからこそここにはカニエの傷心の核心部分に触れる本当に選び抜かれた言葉だけが並んでいる。発表予定日を大幅に前倒して即リリースしたのは、とにかく早くここから前に進みたかったということだろう。全体的にダークでメロウな楽曲が多い気がするが、そういう意味では非常にポジティヴで勇気のあるアルバムだ。09年6月には早くも次のアルバムを発表するというアナウンスもすでになされている。萎んでしまったハートの風船が再び膨らみを取り戻すのにそれほど時間は掛からなさそうだ。悲しみの淵に両足を沈めながらも動きをまったく停滞させず、むしろそこからでさえ自分を更なる高みに引き上げようとする向上心は本当にすごい。しかもそれが独りよがりな悲しみの解放ではなく聴く者がいる前提で作られた完成度の高いポップ・ミュージックになっているところはもっとすごい。プロ根性とはまさにこういう姿勢である。カニエはやっぱり本物。


No.29
All Or Nothing / The Subways

The Subways-All or Nothing
そうだ、ビビッてちゃロックンロールはできない
 06年にヴォーカルのビリーは病気に倒れ、一時は声を発することすらままならない、シンガーとして危機的な状態にあったという。なんとか回復した後にも、デビュー以前からの付き合いでビリーの創作のパートナーでもあるシャーロットとの8年越しの関係の破局があって、少なくとも彼個人としては本当にどん底の気分だっただろう。表現や比喩ではなくて、本作製作中、ビリーは本当に涙を流していたという。それでも、彼らはサブウェイズを止めなかった。ブッチ・ヴィグという運転手を乗せてとにかく未来に向かって加速することを選んだ彼ら。ビリーのギター&シャウトもシャーロットのベース&コーラスもジョシュのドラミングも、すべての音が「突破」への尋常じゃない意志と覚悟の本気さを伝えている。家族や友人がいる居心地の良い場所からわざと自分たちを遠ざけるために、本作のレコーディングはブッチ・ヴィグの住んでいるLAで行われた。タイトルとジャケットも良い。ここには「迷い」というものの入り込むスキが1ミリもない。火を吹きながら、それでも加速を止めず、「今、ここ」から「その先」へと飛び出す捨て身の勇気。これは、どん底からの奇跡の帰還なんかじゃない。これこそが、ロックンロールだということなのだ。そう、このアルバムは奇跡じゃない。このアルバムは希望だ。


No.28
Rockferry / Duffy

Duffy-Rockferry.jpg
音楽は永遠になりうる
 いつの時代にも普遍的に愛されるような強度を持った音楽が極端に少なくなったと思う。ロックの世界でも常に変化と革新が求められ、ニュー・レイヴとかニュー・エキセントリックとか呼ばれる新世代バンドのほとんどがその刷新性を売りにしている。古典的なスタイルのものでさえ、懐古主義ですらないレトロと軽々しくもてはやされ、特にイギリスでは近年のトレンドにまでなっている。しかし、M.I.A.がそんなシーンに対して露骨に嫌悪感を示しているように、それもどう考えたって一過性のブームでしかない。だから、08年、ダフィーの登場はとてつもなく大きな意味を持っていた。現代社会から隔絶されたウェールズの片田舎で、楽器もボイス・レコーダーも使わずに頭の中だけで自分の求めるポップ・ミュージックを鳴らし続けた彼女。レトロとクラシックに明確な定義分けをした上で、クラシックな歌を歌いたいと語る彼女の歌は、まさにそういうものになっている。ギミックもトリックもない普通のラヴ・ソングが、「それ以上」の輝きを放つ時、そこには流行りも時代性も関係のない強力な引力が働くものなのだ。真に優れたポップ・ミュージックとは、それそのものが、すでに特別な存在なのだ。この奇跡のような歌声を聴いていると、永遠は本当にあるかもしれないと思えてくる。


No.27
Strength In Numbers / The Music

The Music-Strength In Numbers
ザ・ヒューマン
 まだたったの二枚しかオリジナル・アルバムを発表していないバンドには致命的とも言える四年という長いブランクを経て発表された、ザ・ミュージックの08年作『ストレンクス・イン・ナンバーズ』。この四年間、彼らは自分たちひとりひとりがザ・ミュージックというバンドのかけがえのない一員だということ、そしてそこからしか始まらないコミュニケーションに集中したという。今更、と思われるかもしれないが、ザ・ミュージックとは、そういうバンドだったのである。音楽好きな仲間でジャムってたら“ザ・ピープル”できちゃった、という極めて偶発的で不定形なバンドだったのである。誰も予想できなかったファーストのそんな成功劇から一転してセカンドで辛酸なめ尽くした彼らは、だからこそここで初めて自分たちの音楽と人間関係に意識的にならざるを得なかった。そうこれは、自らを「音楽」と掲げた四人の若者たちの、再生の物語である。ロブは本作制作を経験し、「他の三人なしじゃ僕なんか何の価値もない人間なんだ」とまで語っている。ファーストは音楽が彼らの過去や人格から乖離して独りでに暴れまくっているようなアルバムだったが、音楽とは本来それを歌い演奏する人間のすべてを背負う切実なコミュニケーションである。このグルーヴを感じろ。その高揚はまるで、人間と音楽そのものの誕生を告げているようではないか。


No.26
Pretty. Odd. / Panic! At The Disco

Panic At THe Disco-Pretty Odd
虚構の世界は自由自在
 リード・シングル“ナイン・イン・ジ・アフターヌーン”で「すべての始まった場所に戻ろう」と決意表明したパニック!アット・ザ・ディスコ。血塗られたウェディングに盛り上がる陰湿な地下劇場から原点の稽古場へと舞い戻った彼らが何度もリハを繰り返し、ようやく手に入れた新たなペルソナがこれ。ここでいう原点とは、デビュー作のことではもちろんなく、「エキサイティングなことがしたい。楽しいことがしたい」という、バンドの最も根源的な部分を支配する極めて単純な欲求だ。前作のダンス・エモをあっさりと脱ぎ捨てて、彼らが本作でビートルズの仮面をかぶっていかにも幸福そうなミュージカルを始めたのは、つまりはそういうことだ。「エモの寵児」と呼ばれ祭り上げられた経験を一切引きずることなく、それでいて眩しい陽の光の打ち付ける表舞台で力強く生きていくことを高らかに宣言するかのような本作のしたたかさには本当に関心。役の性格に呑まれることなく自然体でサラッと演じている様子を見ているとやっぱりエモは彼らの本質ではなかったんだと思い知らされる。そう、前作で彼らが纏ったエモは単なる「衣装」でしかなかったのだ。狂った方位磁針みたいに極端から極端を指し示すこの規格外の才能が今後どんな役を食って育っていくのかとても楽しみ。


No.25
Third / Portishead

Portishead-Third.jpg
虚空を満たさない音楽
 タイトルが良い。通算三作目の本作に、『サード』。一世を風靡したデビュー作『ダミー』から14年、前作『ポーティスヘッド』から11年、その間メンバーは音楽そのものから身を引いた時期もあったという。世紀を大きく跨いで発表された本作で、それでもポーティスヘッドは律儀にあの頃の続きを始めようとしている。「トリップホップ」も「ブリストル」ももはや意味を成さない場所で、自分たちにまだ鳴らすべきものはあるのか。描写すべき闇は残されているのか。21世紀というポーティスヘッドにとっての新時代に、これまでとは違う新機軸をもうけるわけではなく、だからこれは「変化」や「刷新」ではない「進化」であり「深化」である。腹に重く響くダブの要素が軽減したせいで、ちょっと聴いただけでは闇の濃度が薄まってしまったような気がするかもしれない。しかしこれは彼らがヒップホップやテクノのリズムを空白の月日の間に解き明かしたとしか思えない、ポーティスヘッドでしかないグルーヴを保っていて、その質量は変わっていないどころかむしろ増しているぐらいである。何度も発表&延期のアナウンスが繰り返されもう実現しないんじゃないかとまで思われていた本作は、完成が事実となったことそのものが非常に重い意味を持つアルバムである。そして、世界はやはり、今もなお満たされていなかったのである。


No.24
Dear Science / TV On The Radio

TV On The Radio-Dear Science
世界よ、今こそ恐怖から解放されよ
 08年、アメリカには新しい大統領候補が生まれた。「チェンジ」を掲げながら、アフリカ系アメリカ人として初めてアメリカ大統領選挙に勝利したバラク・オバマ。このセンセーショナルな出来事がすべてを解決するわけではないが、本当にこれから何かが変わるんだ、という良い意味での緊張感はこんな極東の島国にいても十分に感じ取ることができた。そして、そんな時代の流れを象徴するかのように、米ローリング・ストーン誌とスピン誌が08年のベスト・アルバムに選んだのは、TVオン・ザ・レディオのこのアルバムだった。時として、変わらないことは美徳だと言われる。そこには変わることによってもたらされる何らかのネガティヴに対する恐れも多分に含まれているだろう。そう、変革には尋常じゃない勇気がいる。それは紛れもない恐怖だからだ。本作に“ファミリー・トゥリー”という印象的な楽曲が収録されている。「家計図」のことである。そこで歌われているTVオン・ザ・レディオのメッセージとは、深い血の繋がりを断ってでも現状を変えようとする強烈な決意と覚悟だ。戸惑っている場合ではない。何かが変わらなければ、このくだらない連鎖は永遠に終わらない。それによってすべてが灰となってしまっても別に良いじゃないか。僕たちはまた一からやり直せる。TVオン・ザ・レディオが言っているのはそういうことだ。終わらない探求の学問である「科学」もきっとそういうものだろう。


No.23
Með Suð Í Eyrum Við Spilum Endalaust / Sigur Rós

Sigur Ros-Med Sud
またここから始まる
 前作『Takk...』の時点ですでに彼らが音楽と向かうという意味が以前のような「逃避」ではなく「祝福」に変わりつつあることは告げられていたから、通算五作目となる本作がある程度解放的な内容になるであろうことは予測できていた。が、まさかここまでとは思わなかった。故郷アイスランドを離れて世界各地のスタジオでレコーディングを行い、初めて正式なプロデューサーを立て、アートワークを外部のアーティストに依頼して出来上がった本作。その完成までのプロセスは、これまで以上に彼らに他者とのコミュニケーションを強要したはずだ。その結果が、外部から身を守るようにして閉じこもるのではなく、外の世界に一歩一歩踏み出していこうとする勇気と躍動感へとちゃんと昇華されていることに驚いた。シガー・ロスと言えば世界一と言っても過言ではないほど内気なバンドである。やはりその変革の意味は大きい。そして、そんな興奮が7曲目の“オール・ボート”で天にも届きそうな絶頂感へと達した以降、僕たちに残されているのは透き通るような静寂に身を沈めることだけだ。外の世界との交わりが彼らにもたらしたものが、混乱ではなく安寧と充実感だったことを告げているかのような感動的なフィナーレだ。シガー・ロスが完全に新たなフェーズに突入したことを意味する重要作にして問題作。


No.22
Conor Oberst / Conor Oberst

Conor Oberst-Conor Oberst
僕たちは独りでは生きていけないから
 ブライト・アイズの07年作『カッサダーガ』からわずか一年という短いスパンで届けられたコナー・オバーストの新作は、実に13年ぶりのソロ名義作だった。新たにミスティック・ヴァレー・バンドを編成し、アメリカを一時離れメキシコ山中で制作された本作がコナー名義になっているのは、ただ単にマイク・モギス(ブライト・アイズのメンバー兼プロデューサー)がプレイしていないからという理由それだけらしいが、実際にブライト・アイズの緊張感から解放されたかのような終始リラックスしたムードが貫かれている。良い具合に肩の力が抜けたバンドの演奏にもほとんど手を加えずに生き生きした感じがそのままシンプルに採用されている。けれども、曲を書いているのはあのコナー・オバーストである。もちろん本質的なところは変わりようがない。ここは本当に自分のいるべき場所なのか、もっと他の場所に行けるんじゃないか、という自分自身に向けられる恐ろしく根源的な問いはこんな文字通りの小休止的な作品でもどうしようもなく行間から滲み出してくる。コナーが歌い続けるということ、それはつまり、その自問の継続と、それこそが「生きる」ということを意味しているのだ。ままならない人生。引き裂かれる関係。自分の居場所で頭まで安心安全に浸れる人間などいない。コナーの震える声と言葉は、今夜もあなたの心の孤独を鋭く射抜いてしまうだろう。


No.21
The Glass Passenger / Jack’s Mannequin

Jacks Mannequin-Glass Passanger
ロックはここから始められる
 発売時のレヴューでも書いたことだが、ジャックス・マネキンことアンドリュー・マクマホンが本作のことを「ひとりの男が、自分が病であることを認められるようになるまでの物語」と呼んでいたその言葉が今でもずっと心の中に居座り続けている。実際に白血病に倒れ闘病生活を送っていた彼だが、ここでいう「病」とは、もちろんそんな文字通りの病気のことではない。劣等感でも無力感でも孤立感でもそんなネガティヴな弱さなら何でもいい。自分の弱さを前にして、これまでの彼は強がることでそこから目を背けることしかできなかったのだと思う。きっかけなんかどうだっていい。自分の弱さをそのまま「弱さ」と初めて認められた時、「僕は生きている」という丸裸なまでに根源的なその叫びは男を解放へと導く恵風に吹き変わったのだ。歩いては立ち止まってを繰り返しながら何とか前に進もうとする僕たちは、それでも足元を見つめ直してみれば結局のところ自己という「ここ」からは一歩も動けていない。弱さは、いつだってすぐそこにある。アンドリュー・マクマホンを取り囲む環境は何ひとつ変わっていない。それでもこのアルバムがまるで若手バンドのファースト・アルバムみたいな瑞々しさで眩しいのは、弱さを抱え込んだ自己という「ここ」からなら何だって始められるということに彼自身が初めて気付けたからだ。個人的な思い入れでは余裕でベスト10入りの大傑作。いつ聴いても泣けてくる。
スポンサーサイト



01:59 | 音楽 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
No.20~No.11 | top | No.40~No.31

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://overtheborder.blog64.fc2.com/tb.php/614-a05497a0