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『幽遊白書』を超えるもの、を求めて

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友達に借りた漫画を読んだ。
漫画がこんなに面白いということに21歳になって始めて気付けた。
これから本当にどんどん読んでいこうと思う。
ワクワクすることが見つかって、ものすごく嬉しい。

これ、まだ完結していないけど、相当面白かった。
でも、なんだか作品の内容そのものが描いている凄まじい世界観に、
絵とかコマの流れがついていけてない気がして、
読みながら何度かつっかえる感じになってしまった。
まあそこはどうでも良いけどね。
コンディションはどんなものでも、本物からは何かが伝わってくるものです。

PLUTO
/ 浦沢直樹×手塚治虫

PLUTO.jpg
全能であることはなぜこんなにも悲しいのか
 『20世紀少年』の浦沢直樹が手塚治虫の『アトム』を原作として新たな世界観の構築に挑戦した『PLUTO』。『アトム』の方は読んでいないので「リメイク」という言葉がどれほど正確なのかはわからないし、気持ちとしてはほとんどまったく新しい物語として読んだが、これはむしろ手塚治虫『人間ども集まれ!』の印象と激しく重なるものがあった。

 『人間ども集まれ!』は、男でも女でもない「無性人間」とそれを戦争のために科学の力で作り出した人間たちとの対立と共存を描いた手塚作品である。この時点で、すでに無性人間と『PLUTO』に登場するロボットたちの間にひとつの符合点が見られる。そして、『人間ども集まれ!』の悲劇は、戦争のために生産され個性を奪われた無性人間ですらも結局のところ人間でしかなかった、ということだ。『PLUTO』に登場するロボットたちが懸念している、自分たちが徐々に人間的になっていくことに対する戸惑いは、この「非・人間から人間への接近」という構図の下に、『人間ども集まれ!』と深く共通している。そして、『人間ども集まれ!』の物語が最後の最後まで誰ひとりとして救うことがなかったのは、無性人間が無性人間として生きていくことができないのと同じように、人間もまた人間として真っ当に生きていくことはできないという絶望感だったのだ。
 そう、僕たち人間は、揺るぎのない人間として機能的に生きていくことができない。僕たちには、余りにも無駄が多すぎる。僕たちがもし「人間」という生物学上のひとつの種族として、種を繋ぐことだけに真剣になれたら、僕たちがしなければいけないことはセックスと食うことと寝ることだけである。それこそ『人間ども集まれ!』に出てくるアリの話のように、僕たちは文明の発展に尽力する働きアリならぬ働き人間と、毎日セックスだけを繰り返す女王人間と種人間とに分かれてお互いの責任を果たし合えば良いだけなのだ。それが、ある意味では「人間」として生きる最も真っ当なやり方なのかもしれない。
 でも、そういうわけにはいかなかったのだ。幸か不幸か、残念なのか器用なのか、僕たちにはできることが多すぎた。「動物は笑わないけど人間は笑う」とはよく言ったものだが、「人間」として生きるのならば、僕たちにはもしかしたら笑うことすらも必要のない行為だったのかもしれない。そう、僕たちは笑うことができる。僕たちは悲しくても笑うことができる。僕たちは空腹を満たしてはくれない夢を追いかけることができる。僕たちは本能的な性欲以外の理由で異性を愛することができる。僕たちは、笑いながら、それでも絶望することができる。人間以外の生物にはできないことを、僕たちはいとも簡単にやってのけてしまう。その点において、人間は他のあらゆる生物を超越している。人間は、全能である。無性人間もロボットもいつだってその立場は人間以下だった。その理由は人間のこのあらゆる生物を超越する全能性の存在である。
 『人間ども集まれ!』が描いていた絶望感、それは、この人間の全能性は、そのまま人間の何もできない無能性の裏返しであるという事実だった。あらゆる生物を超越した人間。それはつまり、人間は「人間」すらも超越した、ということだ。それでも人間でしかない僕たちは、「人間」としてのやるべきことを何ひとつできやしない役立たずだったのである。余りにも器用に様々なことができるせいで、僕たちは「人間」として真っ当に生きることができなかった。朝から夜まで24時間365日セックスをし続けるなんて、僕たちにはできなかったのである。そう、僕たちは、地球に生きる「人間」という当事者であると同時に、その器用さによって「人間」でいることさえ放棄して「僕」や「あなた」になれる第三者なのだ。全能すぎる僕たちは「人間」を止める力さえ持っていた。だからこそ、僕たちは愚かしいほどに無能なのだ。何でもできるはずの僕たちが作った法律や社会のルールは、僕たちが「人間」であることを前提にする限り、永久に「僕」も「あなた」も救わない。もはや正論は通用しないのだ。僕たちは、自分たちが「人間」であることにすら無責任になれる生き物。何かを始めるなら、まずはそれを認めてからだ。そして、手塚治虫は、そんな素晴らしく無能な僕たちを、だからこそ、「人間ども」、と呼んだのだ。

 なんだか『人間ども集まれ!』のレヴューになってしまっていて申し訳ない。人間に接近することを簡単に「成長・進歩・完全」とは認められないロボットたちの苦悶は、彼らの精巧すぎる人工知能がもたらした言わば「全能の苦しみ」だ。彼らは、その賢さ故に、ロボットを超越しすぎてしまったのだ。人間に近づくことで少しずつ狂い始めた彼ら。現在まで単行本は六巻まで発表されており、その物語はまだ完結していない。想像力のない僕にはこれからストーリーがどう展開していくのかまったく予測できないのだが、僕に言えることは、彼らロボットがもはや自分たちは「ロボット」でも「人間」でもない、「ロボットども」でしかない、ということを認められない限り、そこに希望はないだろうということ。このロボットたちの苦悶は、本来なら僕たち「人間ども」の苦しみであるということ。賢くて何でもできるのに、だからこそ愚かで何もできない僕ら。そんなどうしようもなく間違っている僕たちは、果たしてそれでも世界の終わりに正しく立ち会うことができるのか――。本当に面白い作品だと思うから、そこの部分の希望は絶対にあって欲しいと思う。早く続きが読みたい。
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コメント

#
私は、浦沢直樹の作品、ずっと読まず嫌いで…画がなんか嫌だった…

でも、PLUTOを読んで、浦沢直樹の画に対する自分の感覚は大して変わらなかったけど、作品に対する感覚は360…じゃなかった、180度変わった。

まず、手塚治虫の手の中にあった「PLUTO」を、そのままでも美しく眠り続けていれたものを、引きずり出して描くっていうこと自体の姿勢が、凄く私をゾクゾクさせるし。

描かなければならなかった衝動は、その強さは、誰も否定できないなと思った。

ま、いつもながら言いたいことよく解らん感想やけど…

幸大にレビュー書いてもらえてとにかく嬉しいです。
by: まほし☆ | 2008/12/27 23:40 | URL [編集] | page top↑
# まほし☆へ
俺は今までひとつも読んだことなかったから新鮮ですごく面白かったで!
貸してくれてありがとね。

うん、それ言ってたね。
手塚治虫にすごく影響されたらしいし、
自分がペンを握ったとき、
やっぱりそれを捨てられなかったんやろうね。
とにかく、これを描かなきゃ浦沢直樹は前に進めなかったのかな、と思う。
この姿勢、富樫も見習えば良いのに笑

嬉しいコメントをありがとう。
続き買ったらまた読ませてちょーだい!
by: 幸大 | 2008/12/28 03:00 | URL [編集] | page top↑

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