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どんどんやっちまえ

Kill bill
テレビでチャリティーとかエコロジーとか言ってるのが嫌いだ。
チャリティーもエコロジーも確かに真剣に語られるべき問題で、
どうにかしなきゃいけないのはわかっている。
それは「正しい」行いだということはわかっている。
でもテレビが地球を救うな。
ウザい。とてもとてもウザいぞ。
テレビは地球を救わなくても、テレビにしかできないことがある。

数年前、北朝鮮に拉致監禁された日本人が数十年ぶりに帰国できた時、
朝のテレビの話題はほとんどもうそれっきりだった。
他局が必死で同じような映像と音声と情報を送り続ける中、
フジの『めざましテレビ』だけはしっかりと「きょうのわんこ」をやっていた。

「愛は地球を救う」を高らかに掲げ、24時間テレビを制作する日テレ。
一方フジの27時間テレビは、
「みんな“なまか”だっ!ウッキー!ハッピー!西遊記」とか、
「みんな笑顔のひょうきん夢列島」とか、結構ひどい。
おまけに鶴瓶は局部を露出する始末。

そう、鶴瓶の局部は地球を救わない。
いや、そもそも鶴瓶の局部は世界なんて救えなくても良いのだ。
フジテレビが27時間テレビで言っていることは、つまりそういうことだ。
テレビは地球を救えない。
世界を救う代わりに、テレビにできること。
つまり、「楽しくなければテレビじゃないじゃ~ん!」、なわけなのだ。

『キル・ビル』でタランティーノが言っていたことも同じ。
映画は世界なんかに無責任で良い。
映画は世界なんかになんの義理もないのだ。
映画には、映画にしかできないことがある。

そして、タランティーノ作品の映画レヴュー。

Death Proof
Death Proof
映画にしか見出せない救いがある
 『キル・ビルVol.1』を初めて観たとき、僕は本当に涙が出そうになった。あれは観なきゃ万死に値するレベルの大大大傑作。ラスト30分はもう本当にすごいから、もしまだ観てなかったら絶対にすぐ観て。でも『Vol.2』の方ははっきり言ってかなり幻滅した。どうしたんだタランティーノ、もっとヤッチマエよ、と思わざるをえなかった。そんな『Vol.2』の次に制作された07年公開の作品がこれ、『デス・プルーフ』。またヤッチマッタなタランティーノ、と思わざるをえなくて、また涙が出そうになった。まことに残念ながら、今こんな作品を作れる映画監督は世界中にクエンティン・タランティーノたったひとりしかいない。07年に公開された映画の中で、これを超えられた作品はひとつもなかったんじゃないかと思う。
 60年代から70年代にアメリカで人気を博したグラインドハウス映画に捧げるオマージュ……とかそんな解説じみたことはどうだっていい。だからなんだと言うのだ。『キル・ビル』もそうだったが、これは映画そのものの本質を問う作品である。いったい何のために映画はあるのか。映画が果たすべき役割とは何なのか。ひとりの映画監督が何にも臆せずに自分の映画理想像に的を絞った作品は自然とそういう本質論に行き着くものである。そして、タランティーノはイカれたヒトラーのごとく熱弁をふるう。映画は3Dになる必要も盲目になる必要も物言わぬ貝になる必要もない、そこには歴史的背景も社会的告発も愛と平和の誓いも必要ないのだと。映像にも音声にもノイズ入りまくりだったとしても、訳もなくナイスなギャルが現れて脈絡もなくカーチェイスが始まって意味もなく大量の血が流れるだけで映画はこんなにも楽しくなるのだ。タランティーノの頭の中で、映画は常にこんな風に流れているんだろうと思わせる感動的な作品。どうにもならない恐怖と悲しみを共有する全世界に向かってバァと舌出すマッド・ピエロを演じてみせるこの無責任さ。これは映画の希望である。
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