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夢を終わらせないで

メッセージ
/ YUKI

YUKI-メッセージ
そこに、僕はいますか?
――YUKIからの、配信限定のメッセージ――

 人生初めてのライブ体験は、05年5月11日、YUKIのjoyツアー大阪公演だった。自分とは人種の違いそうな女の子がたくさんいて内心かなりビビッていたけど、あの日のことは絶対に一生忘れない。細かい部分の記憶は実はかなり薄くなっている。でも、絶対に忘れられないYUKIの言葉が、僕の心の中にはひとつだけある。ステージに軽やかに現れたYUKIは言った。「上手に歌うよりも一曲一曲に心を込めて、体がひきちぎれるまで歌う」と。最初はなんだか無性にむず痒かった。でも、ライブが終わる頃には、あの言葉こそYUKIなんだと思うようになっていた。ガッツポーズのひとつでも、思わずしてしまいそうだった。
 同じツアーの武道館公演が収録されたライブDVD『ユキライブ』でも、それ以降のツアーでも、YUKIはライブごとに毎回そのことを約束していた。一曲一曲に心を込めて。体がひきちぎれるまで。そうだ、これなんだ。やっぱりYUKIはこうじゃなきゃいけないんだ。僕が今でもYUKIの音楽を聴き続ける理由は、やっぱりこれなんだと思う。

 YUKIのソロ第一弾アルバムとなった『PRISMIC』。そこに収録されたYUKI随一の名バラード“プリズム”について、彼女は後にこんな風に語っている。「もう戻れないところまで川を下って来てしまった。でも、それはキラキラしてるんだよ」と。YUKIはもともとJUDY AND MARYのボーカリストである。愛しいバンドを離れ、ひとりになって再びキャリアを歩み始めたYUKIの第一歩である『PRISMIC』は、もう自分がバンドには戻れない事実を彼女が認めたアルバムだった。もう後戻りできない場所まで歩いて来てしまった自分を、それでも良いんだと認められたアルバムだった。それまでずっと一緒に活動してきたバンドを終わらせるということが並大抵の決断でなかったことは想像に難くない。それでも彼女はそのことを「キラキラ」と表現している。決して軽い別れだったというわけではない。別れさえも、彼女にとっては希望でしかなかったということだ。
 そう、実際に“ハローグッバイ”という歌も歌っているが、YUKIの歌にはいつだって何かとの出会いと別れがある。そして、バンドとの別れに涙し、「もう歌えないわ」と嘆き苦しんだその先に『commune』という何かと繋がる勇気が待ち受けていたように、その出会いと別れはいつだってポジティヴな希望へと昇華されていった。それがたとえ別れという形で終わってしまうものであったとしても、音楽の力で人はきっと何かと繋がることができる、コミュニケーションとはそれそのものがすでに希望なんだ、とYUKIの歌を聴いていると僕はいつもそんな気がしてくる。もちろん、別れはいつだってつらいものだ。出会いだって楽しいものばかりではないだろう。けれど、その苦しみと悲しみさえ放棄しなければ、きっとその先に希望はある。YUKIは、ずっとそう歌い続けてきたんだと思う。
 そして、音楽をコミュニケーションとして捉えているYUKIにとって、実際に観客を目の前にして行われるライブはとても重要な意味を持っているはずだ。それは当然僕たちにとっての貴重な時間でもある。CDだったら僕たちはいつでもどこでも自由にYUKIとコミュニケーションをとることができる。けれど、ライブはそういうわけにはいかない。ライブは時間が限られている。それは仕方のないことだ。でもだからこそ、YUKIのライブはいつだってマジだ。YUKIも観客もお互いに、その限られた時間の中で本気で繋がろうとしている。YUKIはステージの端から端まで駆け回って、踊り回って、ギャグかまして、時には真剣に語りかけてくれたりして、そして、本当に体がひきちぎれるまで歌ってくれる。だから僕たちはそれに拍手と歓声で、爆笑で、涙で、あの変なJOYダンスで、応えることができる。会場中が両手挙げてレロレロ踊っているあの光景は、はっきり言って異常である。それでもその時のみんなの笑顔は、やはり疑いようのない希望なのだ。

 12月3日に“汽車に乗って”以来約八ヶ月ぶりのYUKIの新曲がリリースされる!というニュースを知って、僕はもうたまらなく嬉しかった。“汽車に乗って”がYUKIの未来を感じさせる素晴らしい歌だったから、それ以来ずっと新曲が出るのを心待ちにしていたのだ。タイトルは“メッセージ”だという。うんうん、素朴だけど広がりのある、YUKIらしい良いタイトルじゃないか、なんて聴く前からひとりで満足していたら、そんな期待は見事に裏切られてしまった。
 なんとリリース形態は、配信限定――。

 YUKIが配信限定で楽曲をリリースするのは、何もこれが初めてのことではない。過去にも一度、“ビスケット”を配信限定でリリースしている。その時僕はもう怒り狂ってこのブログに「バカバカ」書きまくっていた。僕は、聴きたい音楽はいつでもCDで買う、もしかしたらちょっと古いタイプの人間だけど、別に音楽のデータ配信そのものについては否定的な意見は持っていない。むしろバンバン配信してもらって結構だと思っている。CDで買うか、データで買うか、それは買い手の自由だ。
 だからこそ、「限定」はよろしくない。YUKIがそれをするのはなおさら良くない。というか、そんなものクソである。“ビスケット”の配信限定リリースが決まった時にある音楽誌は「YUKIにしか歌えない歌がある! 配信限定の新曲到着」と喜々として伝えていたが、こんなんで大丈夫か、と思わざるをえなかった。そう、あんなにも愛しくて可愛くてそれでいて芯の強い歌を歌えるのは、今の日本にはYUKIしかいない。でもだからこそ、“ビスケット”は配信限定なんかでリリースされちゃいけなかった。後でシングル・コレクションに収録されたから良いじゃないか、なんていうのは完全なる話のすり替えである。僕の周りのYUKIファンも雑誌もネット上でも誰も言ってくれないからもう一度言うが、パフォーマンスとコミュニケーションの場所を限定してその中だけで完結してしまうYUKIの歌なんて、そんなものクソである。
 YUKIが歌うということはいったいどういうことなのか。普通だったら安っぽいポップ・ソングで終わってしまいそうな歌が、YUKIが歌うことによって魔法でもかけられたみたいにキラキラ輝き始めるのはいったい何なのか。こんなにも可愛い歌声なのに、どうしてその根底にはこんなにも力強いエネルギーが詰まっているのか。すべての答えは、あの言葉じゃないのか? YUKIが「一曲一曲に心を込めて、体がひきちぎれるまで」歌ってくれるからじゃないのか? 誰一人も見逃さない、「みんな」に歌を届けるためのあの意志と覚悟の強さではないのか? 配信「限定」のYUKI。そんなもの、別れは悲しすぎるから出会いだけのコミュニケーションにしときましょ、と言っているようなものだ。そんな中途半端なメッセージが、いったい誰の心に届くと言うのか。

 そして、ロックとは、まさにあのYUKIの言葉のような音楽のことを言うのではなかっただろうか。大人になったらどうでもよくなってしまいそうな問題を真剣に悩み抜いて、それが結局どうにもならなかったとしても、その真剣に悩み抜いたことそのものが一番大切なんだと歌う音楽なのではなかっただろうか。役に立たないことを悩んでいても仕方ないという人もいるかもしれない。そんな無意味さや無力さを承知した上で、それでもあえてそこに真剣に、誠実になれた時、僕たちはそこにしかない希望を見つけられるのかもしれない。ロックとは、それを信じる音楽ではなかっただろうか。だから、YUKIの別れは「キラキラ」でなければいけなかったのだ。結局は別れてしまうものかもしれない。終わってしまうものかもしれない。でも、YUKIのコミュニケーションはそれを恐れてなどいないのだ。そこからしか始まらない希望は、やはりどうしても必要なものだから。前向きに生きられない命は、あってはいけないのだから。YUKIの歌の本当のメッセージはいつだってそこにあった。様々なものとの出会いと別れを繰り返し、あらゆる状況が変わり果てた、ソロになってからのYUKIの五年。それでもたったひとつ変わらなかったYUKIのコミュニケーションに対する思い。それを記録したのが『5-star』というシングル・コレクションとライブDVDだった。そのDVDの最後でYUKIが僕たちに託した「Everyday is My Birthday」というメッセージ。そこにすべてが集約されている。すなわち、毎日生まれ変わることを、様々な出会いと別れによって日々変化する自分を、恐れてはいけない、と。

 配信限定でのリリース。それは、予め届きうる相手を限定した、全力でない中途半端なコミュニケーションである。別に「みんな」に届かなくて良い、と言っているのと同じだ。それでどうして「一曲一曲に心を込めて、体がひきちぎれるまで歌う」なんてことが言えるだろうか。その立派な言葉にどんな説得力が宿るだろうか。いったい、何を勘違いしているのか。
 
 YUKIから届けられた配信限定のメッセージ。
 YUKIが予め限定した場所だけでのコミュニケーション。
 そこに、僕はいますか?
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01:18 | 音楽 | comments (4) | trackbacks (0) | page top↑
どんどんやっちまえ | top | How to Live

コメント

#
レヴュー読みました。
配信「限定」の新曲も、着うたフルなるもので、聴きました。

ダウンロード、お金が電波にのってポンと財布を飛び出し消えてく。420円なり。

「そこ」に無理やり入り込んだ私ですが、なるほど、「そこ」はだいぶ違和感あります。

ちなみに私の人生初ライブはもう何歳のころか忘れたけれど、親に連れられていった『南こうせつ』さん。野外でした。w

何故か「こどもチャレンジ」の付録だったペンライトを振り(なんであんなものが付録だったのか…)、曲を聴くでもなく、虫捕りに夢中でしたw(広い草原で、ライブがまだ昼間だったからw)

でも、私は、いつもとは違う「特別」な空間を、解っていた。
楽しんでいた。

彼は紛れも無く、ステージ上の”大スター”で、でも、動いていたし、こちらを見ていたし、笑っていたし…

そこはその場にいる誰にも、開かれて、いた。

今になって、きっと、そういうことなんじゃないかと思う。




by: mahoshi☆ | 2008/12/06 14:28 | URL [編集] | page top↑
# mahoshi☆へ
ありがとう。

人生で二度目のネットでデータ買いです。

“ビスケット”の時みたいに
「何のためのポップ・ミュージックなんだ」
とは思わない。

「何のためのYUKIなんだ」
と言いたくなる。


昔は南こうせつとサダマサシがどっちがどっちかよくわからなかったです。
うちのオカンは亭主関白が大嫌いで、
確かそっちがサダマサシだったから
南こうせつはもっと柔らかいイメージ。
よくわからん?
なんか白衣の似合いそうな人だと思ってた。


ロックには限界がある。
レコード買ったり、ライブ行ったりした人にしか与えられない希望。
実際にその歌を聴いた人でしか共有できない勇気。
その時点でロックはすでに全能じゃない。
ロックは世界のすべての人を救ったりはしないし、
別に救えなくても良いところからそもそも始まってる。
でも、その不完全さをロック自身が認められた時に、
すべてを救えないロックやからこそ救える何かがあることがわかる。
不完全っていう限界の中で、それ以上に解放されたときにこそ、希望はある。

何が言いたいのやら。
ありがと。

by: 幸大 | 2008/12/07 18:10 | URL [編集] | page top↑
# 初めまして
いつもblogを拝見させて頂いています。

特にYUKIの記事が大好きです。

なぜ?
私もYUKIが大好きだから。

メッセージ、ネット配信ですごくガッカリしました。。。
私もYUKIのCDだけはいつも絶対買うのに…
ビスケットの時もネットのデータにはガックリで、データの最後に雑音が入っていて、これまた残念…

YUKIがネット限定配信にしたくて、したわけでは無いと思うけど、レコード会社ももう少し考えて欲しいですね。

次回はネット限定じゃなく、CDも出してくれること(毎回ジャケットも楽しみですよネ)を期待して待つ事にします☆

長々と失礼しました(m>_<m)
今後ともヨロシクお願いします♪
by: hisako | 2008/12/09 01:43 | URL [編集] | page top↑
# hisakoさんへ
初めまして!
、ですが僕も何度か拝見させていただいてます。
本読むペース、すごいですよね。
僕は字を読むのが本当に遅い人間なので、羨ましいです。
本棚すごいんだろうなぁとか思ってます笑

今年のライブ・ツアーでのYUKIのMC、
普通に聞き流したらなんともないことを言ってたような内容だったんですけど、
奥底には激しいフラストレーションが満ちていたような気がしたんです。
『joy』以降はみんなのYUKIちゃんを演じてたとまで言ったんですよ。
だから、これからは『PRISMIC』みたいな自己回帰作をもしかしたら作っちゃうかも、
と期待していた矢先の配信限定だったので本当に悔しいです。
レーベル側も理解がないです。
自分がちゃんと理解されてないから、YUKIはあんなMCをしたのに・・・・・・。
と思うとなおのこと悔しいです。

なにはともあれ嬉しいコメントありがとうございます!
こちらこそこれからもよろしくお願いします!
また良かったら遊びに来てください!
by: 幸大 | 2008/12/09 02:36 | URL [編集] | page top↑

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