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深読み

オウテカ
『真夜中のピアニスト』という映画のレヴューを書こうと思って色々考えていた。
我が家に何か極端なエレクトロ・ミュージックはないか、
と思い立って、オウテカを聴いている。
オウテカが映画の中で使われていたわけではない。
主人公の男が、エレクトロ・ミュージックを好んで聴いていただけだ。

微細な粒子が無機質に積み上げられたエレクトロニカという構築美。
それは、無機質だからこそ、そこが完璧であればあるほど、
人間的な感情の迷いや綻びを排除する音楽だ。
ある意味でそれは「完全なフォルム」と呼ぶことができる。

主人公の男はブロック・パーティーを聴いていた。
ブロック・パーティーは、厳しすぎるほど自己を省みるバンドだ。
彼らの音楽はだからこそ不完全な自分たちへの批評性と
完全を目指す強い創作意欲に溢れている。
ブロック・パーティーの音楽は、完全と不完全の相対。
今年発表された彼らの最新作は、エレクトロニカの要素を強く取り入れた作品だった。

真夜中のピアニスト
真夜中のピアニスト
ピアニストはピアノを超越できない
 主人公は不動産ブローカーを生業としたひとりの男。ネズミを放したり水や電気を止めたり時には暴力に訴えて物件を獲得する相当あくどい男だが、意外にもピアニストになるというロマンチックな夢を完全には諦められずにいた。そんな男の、プロのピアニストになるためのオーディションへの道程とその後が描かれた本作『真夜中のピアニスト』。この物語の中で行われる数々のコミュニケーション――同僚との共犯関係や仕事上の軋轢、同僚の妻との不倫、父親との不安定な繋がり、中国人女性と言葉が通じない中でのピアノ特訓――は、どれも一口に円滑とは認めがたいイビツなものばかりだ。いつだって齟齬をきたす日常生活。だからこそ男はピアノを前にした時だけは正直にならざるを得なかった。ピアノとだけは上手くコミュニケーションを取りたいとでも願うかのように、完全なフォルムの美しさを求めて男は鍵盤の上に指を走らせる。来たるオーディション当日、結局のところ不全に陥るピアノとのコミュニケーション。主人公の男を演じたフランス人俳優ロマン・デュリスがとても良い表情をしている。彼の見せる焦りや苛立ち、葛藤の表情が本作のムードをほとんど作っていると言っても良い。だがそれは同時に本作が描くコミュニケーション不全の明らかな表出でもある。殺された父親の死体を目の当たりにした時の彼の表情は迫真の一言に尽きる。父親の死の二年後、中国人女性のピアノ・コンサートに向かう途中で仇の男と偶然に出会い襲撃に成功するが、それが何の意味も果たさないことに彼は気付いてしまう。袋小路に迷い込む彼の心を癒すものは、最後の最後までピアノの美しい音色が持つ完全性だけだった。そう、不全によって失われたものはもう二度と戻らないのかもしれない。ピアノだってそうだ。一旦弾き逃してしまった音色を、始めに戻ってもう一度弾き直すことなどできやしない。ピアニストとは、これ以上何も失わないために、常にピアノという「完全」を必死に追い続ける「不完全」のことを言うのかもしれない。
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