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To The End

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ご飯を食べながら何か聴こうと思って手に取ったブラー。
だけど、“エンド・オブ・ア・センチュリー”はダメだ。

「そして僕たちは皆ひとりになりたくないと言う
同じ服を着ているのは同じ気持ちだからさ
そして乾いた唇でお休みのキスを交わす
世紀の終わり・・・別にどうってことないさ」

涙が出そうになる。

Parklife
/ Blur

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「始まり」は終わらない
 オアシスの『ディフィニトリー・メイビー』と共に90年代イギリスのブリット・ポップ戦争を象徴する、ブラー大出世の三作目。当時はガサツさと情熱だけだったオアシスに対して、ブラーの本作は凄まじい容量の情報が落とし込まれた極めてクレヴァーでハイセンスなポップ・アートだった。本作から読み取ることの出来る情報は、イギリスのリアルな社会生活やライフ・スタイルだけに止まらず、音楽的にもビートルズやキンクスなど60年代の正統的なブリティッシュ・ロックから70年代パンクに80年代エレポップと幅広く、また今考えてみると、ブラーの前衛性はフランツ・フェルディナンドへ、偏屈さやシニカルさはカイザー・チーフスへ、生活の独白スタイルはザ・ストリーツへと確実に受け継がれている。まるで本作を中心的な磁場として英国ロックの歴史が大きく広がっているかのような変な感覚がするが、それは本作がいかに本質的な情報を内包していたかを物語っている。
 だけど、今一番強く思うことは、これがブラーの紛れもない「始まり」だったということだ。キャリアのスタート自体はこれ以前だが、ブラーを拘束するブリット・ポップという伝説と呪縛が始まったのは、間違いなくここだった。ブリット・ポップそのものはレディオヘッドの97年作『OKコンピューター』によってすでに完了した物語だ。しかし、ニュー・ミレニアムを迎えてからもデーモン・アルバーンにはゴリラズという覆面が必要だった。現時点でのブラー最新作はブリット・ポップ終焉以降の悲壮感を引きずった03年作の『シンク・タンク』だ。ブラーのブリット・ポップは終わっていない。きっと永久に終わらないだろう。なぜなら、それは一度「始まってしまった」物語だからだ。双六に「ふりだしに戻る」が付き物なように、僕たちを最も強烈に引き寄せる力は、他でもない「始まり」なのだから。


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