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Intimacy
/ Bloc Party

Block Party-Intimacy
本当の闘いはここから始まる
 ケリーが現代社会の悪意とリンクする自身のトラウマまで回想、披瀝し、徹底した具体性を描ききった前作『ウィークエンド・イン・ザ・シティ』。約二年ぶりに発表された最新作となる本作は、まるで前作のコンセプチュアルな構築美から解放されたかのように本能的で、ともすればとっ散らかった印象すら受けかねない。ただ、それは「散漫」と同義ではないことを強く主張したい。ファーストのプロデューサーであるポール・エプワースとセカンドのプロデューサーであるジャックナイフ・リーという二人のプロデューサーの下でそれぞれに異なったプロセスを経て楽曲としての具現化まで辿り着いた本作収録曲がきれいに秩序立っていないのは当然のことであり、彼らが本作でやろうとしたことはまさにその模索とバンドの成長過程における「今」という一瞬の記録なのだろうと思う。CD化までの半年が待てずにダウンロードのみでの先行発表という形を彼らがとったのも、だからだと思う。
 だがしかし、である。成長過程の一場面でしかないはずの本作は、それにも関わらず、ものすごい一枚になってしまっている。ブロック・パーティーの歌が描く世界のリアリティ、それは、『サイレント・アラーム』ではひどく曖昧で、まるで曇ったガラス越しに外の風景を眺めるようなぼんやりとしたものだった。だからこそ、それに続いた『ウィークエンド・イン・ザ・シティ』では曖昧な表現など許されなかった。彼らは不器用なほどに自分たちを省みてしまうバンドなのだ。そして、だとしたら、『ウィークエンド・イン・ザ・シティ』という深い内省の後に描かれる物語は、当然『インティマシー(=親しさ)』という何かと関わることについての物語でなければならなかった。そして、ブロック・パーティーが本作で関わろうとした「君」は、決して「隣にいる存在」ではなく、セックスをするときのような「向かい合うべき存在」であり、だからこそその対峙の向こうに待ち受けているのは「世界」という巨大な存在なのだと、本作は歌っている。それはつまり、「君」にとっての「僕」が「向かい合うべき存在」だというのと同じ意味であり、「僕」の背後に屹立するのも「世界」であり、「僕」がどうしようもなく「世界」の一部であるということを伝えている。ブロック・パーティーの歌う世界観は、本作ですでにそんなところまで来てしまっているのだ。これは、実はあのレディオヘッドが辿った「世界との対峙」へ道程と非常によく似ている。人が持て余す興味や興奮の対象が、地上、空、そして宇宙にまで突き抜けて最後には究極的な「自己」へと向かう真実を告げるかのように『イン・レインボウズ』というひとつの達観を導き出したレディオヘッド。ブロック・パーティーの成長過程の途中である本作は、これがまだ「途中」だという意味において、彼らのまだ「この先」へと進む未来の確実さを約束している。どうしてレディオヘッドだけが世界を前に進み続けることができるんだろう?と考えたことがある。だが、それはもう違うかもしれない。このどうにもバカでかく胸糞悪い世界と対峙しているのは、もはやレディオヘッドだけではないのだ。
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