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今日のLP

Joy division
今日で大祭も終わり。
飲んで食って寝ただけのような四日間だったけど、
間にはいろいろと、なんだか自分にとっては大切なことがあったと思う。
今年のキャラクター・オブ・大祭にも会えたし、充実した四日間だった。

ただ、外が充実してたぶん家に帰ると集中力が切れて、何も手につかなくなる。
何やるのもめんどくさいし、CDも溜まるばっかで一向に進まない。
結局ロスキャぺ!から一週間近く何も新しいの聴いてないぞ。
今もぼんやりジョイ・ディヴィジョンのLPをかけながら
音を消したテレビを眺めている。

このジャケット、このミニマリズムが、
イアン・カーティスの誠実さと神経質さを象徴している。
ジョイ・ディヴィションを聴いていると、
堕ちていく感覚がどんどんリアルになる。

Unknown Pleasures
/ Joy Division

joy division-unknown pleasures
「大人になりたい」なんて一度も思ったことない
 「早く大人になりたい」とよく言うけど、そこで「大人」と呼ばれる人たちは、本当にいろんなことを知っていて、いろんなことに思い悩んで、思慮深く成長していった人たちなのだろうか。そうやって生きてきた人たちなのだろうか。それは自分の言動に責任が取れるとか何でも自分で手早く解決できるとか、そんな単純なことじゃない。社会に出てもスイスイうまくやっていけるのが「大人」なのか。小さなことでもいちいち立ち止まってるやつは、いつまでたっても「子ども」なのだろうか。
 ロックを聴いていると、自分が日頃漠然と抱えている倦怠や失望に、自分よりももっと具体的に、複雑かつ深遠な世界で、自分と同じように思い悩んでいる大人たちがこんなにもいるんだという震えるような共感を覚えることがある。みんなでただいらないことに立ち止まってるだけだ、と笑いたければ笑え。「新しい夜明け」が“break”ではなく“fade”するという未来への圧倒的な絶望を歌い、23歳という若さで自らの首を吊ったイアン・カーティスは、うまくやれなかったから、救いようのない「子ども」だったのだろうか。「子ども」の彼がうまくやれなかったのは、それでも自分のことを知りすぎていたからだ。自分が自分であることを、必死で守ろうとしていたからだ。だとしたら、僕たちはいったいどんな「大人」に早くなりたいというのだろう。「大人」になったら、いろんなことに思慮深くなれるんじゃなくて、いろんなことが、心の底からどうでもよくなるんじゃないか。このアルバムを聴くといつもそう思えてきて、なんだかものすごくダルい。
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