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もぐもぐ

モグワイー
バイトの帰り道、モグワイを聴こうと思ったらiPodに一枚も入ってなかった。
そういえば、外でモグワイを聴こうと思ったことはこれが初めてかも。
夜だから魔が差したのかな。

モグワイほど他人と共有したくない音楽はない。
今年の最新作は違ったけど、
シガー・ロスも僕にとってはそういうバンド。
彼らのライブには、死ぬまで行きたいとは思わないだろうな。
ひとりでしか聴けない音楽は、やっぱりどうしても必要だから。

CDレヴューは、一応写真だけセカンド・アルバム。
前作からの変化とかイギー・ポップのインタビューのサンプリングとか、
そんなの実はどうでもいいんだといつも教えてくれる気がして、
僕はモグワイ作品の中ではこれが一番好きだ。

Come On Die Young
/ Mogwai

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本質を射抜く音楽
 一発聴くだけでもすぐにわかることだが、モグワイの音楽の方法論は、僕たちが日頃聴いている通常のポップ・ミュージックのそれとはまるで違うとよく言われる。それはつまり、極端に言うのなら、モグワイの音楽はポップ・ミュージックではないということを意味している。だからこそ当然のように、メッセージを届けて聴き手から何らかの感情を喚起させるような、ポップ・ミュージックとしての大前提の動機が、モグワイの音楽にはない。それはどこまでもクールで、張り詰めていて、何よりも本質的だ。あるインタビュー記事で10年後もモグワイとして活動しているかという質問に対してスチュアートが「たぶん……やめる理由も見つからないしさ」と答えていたのが興味深かった。どこまで本気で答えていたかはわからないが、それは「モグワイを続ける明確な理由も特にない」と置き換えることができるのではないだろうか。僕はモグワイの音楽を聴いても特定の感情が湧いてきたりとか気持ちが高揚したりとかいう風にはならなくて、なんで自分はわざわざこんな音楽を聴いているんだろうという終わらない自問が始まってしまうのだけど、それはもしかしたらスチュアートがモグワイのメンバーの一員として楽器と格闘する瞬間と似ているのかもしれないと思った。僕を押し流すこの理由なき轟音の行方は、いつだって「自分はなぜ音楽を聴くのか」という究極の本質論だ。スチュアートがモグワイを通して対峙している問題も、そこなのではないだろうか。モグワイが作品を作り続ける最も根源的な動機は、それなのではないだろうか。もしもポップ・ミュージックが誰かと繋がるための音楽だとしたら、自問を繰り返すモグワイの音楽は、自分がひとりであることを確認するための作業なのかもしれない。そしてだからこそ、押し寄せる津波のようなモグワイの轟音に身をゆだねているとき、それでも僕はいつも圧倒的なまでの「静寂」を感じている。
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