FC2ブログ

機会の地

amerika.jpg
ラース・フォン・トリアー監督「アメリカ三部作」からの
『ドッグヴィル』『マンダレイ』のツインパック。
完結の三作目は現在制作中のもよう。
何でもいいから衝撃的な映画を観たいという方は、
是非一度観てみると良いとお思います。
一瞬で、「異質」だということが理解できると思います。
でも、映画を観て不快感を味わいたくない人は絶対に観ない方が良いです。
心が底なし沼に沈むみたいに、不快なドロドロが続きます。

Dogville
Dogville.jpg
アメリカ、という月の裏側
 ラース・フォン・トリアー監督の名を世界に知らしめた傑作『ダンサー・イン・ザ・ダーク』で彼が描こうとしたものは、他の何でもない絶望だったという。絶望としか言いようのない、絶対零度の圧倒的なまでの絶望。あの作品が奇跡だったのは、そこに、ビョークが居たということだ。ビョークのクリエイティヴが、追い詰められた絶望の境地で、希望の扉を開いてしまったということなのだ。
 だからこそ、彼が本当に描きたかったものはこれだったんじゃないかと思う。ひとりの美しき逃亡者が迷い込んだ世界から隔絶された村(ドッグヴィル)は、そこが住人たちにとってのただひとつの運命共有の場所だったからこそ、まるで野犬のように保身と欲求に対して恐ろしく愚直だった。そして、何よりも罪深きは彼らの存在が実際の野犬ではなく狡猾な人間であったということに尽きる。ドッグヴィルというコミュニティの平穏を保つための、ひいては住人ひとりひとりが自分の生活を守るための保身と欲求についての愚かしい正論が、その裏側にある住人の脅えが、それが彼らのどうしようもない「弱さ」だからこそ、それは絶望の悪循環を呼び込む本質的な悪意なのだということを、ラース・フォン・トリアーは本作で描ききっている。そしてそれは、相撲界とか食品偽装とか政権交代とかが喧しく騒がれる「今」というこのときにも、企業とか派閥とか政党とか国家とか社会とかいう、大小の規模に関係のないあらゆる人間のコミュニティの中で発生している果てしないダウンスパイラルなのだということを告げている。何ひとつ残さずにすべてを終わらせる以外、コミュニティに救済の余地はない。この映画に、未来はなかった。
スポンサーサイト



13:10 | 映画 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
レオン | top | サイエンティスト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://overtheborder.blog64.fc2.com/tb.php/518-42846c05