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ポニョっとしてるから

ポニョぽ
ついに、ようやく、今になって、
『崖の上のポニョ』を観に行ってきた。
ひとりで映画館なんて初めてだからめちゃくちゃ緊張したけど、
そのぶん集中できたような気がする。
近くに座っていた幼稚園児の女の子が、
一緒に来ていたお父さんに「この映画怖い?」と訊いて、
お父さんが「怖くないよー。子どもの観る映画だからねー」と答えると、
その子は僕の方をチラッと見て、「でも子どもいないよー」と嘆いていた。
エンディングは、もちろん「ポ~ニョポ~ニョポニョ」と熱唱していた。

崖の上のポニョ
ポニョ
魔法を超える存在を求めて
 自然という圧倒的な魔力を前にして立ち尽くすことしかできない人間の無力さと、そうだからこそ解放できる何かを描き続けてきた宮崎駿。そこで彼が表現しようとしてきたことは、告発と警告であり、それでもあらゆる生命は生き続けなければいけないという彼の個人的な理想論であり、ひっちゃかめっちゃかな世界から子どもたちを守るファンタジーであり、それらすべてをリアルなものへと引き上げるための全能的な魔法だった。本作『崖の上のポニョ』で、それはひとつの到達点を迎えた、と断言してしまってかまわないと思う。本作が最後の長編作になると本人も洩らしているようだが、実際にそうなると残念な気持ちと同時にそれがある意味最も自然な着地なのではないだろうかとも思えてくる。これの後に、いったい何が描けるというのか。
 これまでの宮崎作品の中で闘争というイビツな形で浮き彫りにされてきた自然に対する人間のジレンマは、「好き」という名の約束の下、ついに生命の根源的かつ普遍的な欲求に辿り着いた。ふたつであろうとみっつであろうとたくさんであろうと、生命が集まる場所はそれそのものが運命的なコミュニティであり、お互いがそこに寄り添いながら生きていく決意はただそれだけで未来を創る希望なんだ、と宮崎駿はこの作品で言っている。そう、いつだって「半径三メートル以内に大切なものはぜんぶある」のだ。だからこそ、ポニョに魔法はもう必要なかった。恐らく宮崎駿にとってもそうだろう。ポニョと宗介の嬉しそうな笑顔が、眩しかった。半漁人と人間。あの二人を繋いでいたのは、もはや奇跡でも魔法でもなんでもない。この映画には、無邪気なぐらいの未来しかなかった。魔法だっていつかは解けてしまう。永遠に消えない光は、すぐそこにある。
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