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Singing in the Rain

かさ
バイトが終わって、家に帰る頃になって大雨。
こんなちっちゃい傘じゃほとんどその役目を果たしきれず、
ジーパンもリュックもびちょびちょのぐちょぐちょ。
無事に家に帰って、お風呂から上がったら止んでるし。
いじわる。

雷まで鳴り始めたときにはもうホントどうしようかと思った。
雷、苦手なんです。
最近はさすがにないけど、昔は「ピカッ、ドーン!」てなると、
反射的に傘を投げ捨てて走り出していた。
ビョークの『メダラ』を聴いていろいろ考えながら帰ろうと思ってたのに、
雷の音がもれて入ってきて怖いから、
急きょワン・デイ・アズ・ア・ライオンに変更。
光だけで、音が聞こえないほうがよっぽど怖かった。

最近、ビョークのディスコグラフィーをざっくりと振り返っています。
理由は自分でもわからないけど、
きっかけはラース・フォン・トリアーの衝撃的な映画を立て続けに観たからだった。
明日はバイトも休みだし、また『ドッグヴィル』『マンダレイ』を観るか。
久しぶりに『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でもいいな。
ラース・フォン・トリアーは、
ビョーク曰く「今まで会った中で唯一理解不能な人物」、らしいです。
今日は今聴いている作品のCDレヴュー。
ビョークで、『メダラ』。

Medulla
/ Björk

Bjork-Medulla.jpg
本質的なるもの
 「山みたいな作品にしたかった」。ビョークは本作についてそう語っている。何千年も昔から世界の「そこ」に存在し、文明が発展しようと、テクノロジーが更新されようと、そんなことにかまわず「そこ」に屹立し続ける山。あらゆるものが変化し続けるこの世界で、ただひとつ変わらずに「そこ」にあり続けるもの。つまり、「本質」という意味を込めて、ビョークは本作に「メダラ(=骨髄)」という名前を付けた。そして、だからこそ、文明にもテクノロジーにも影響されずにどの時代にもそのままの形であり続けるただひとつの本質的な楽器、すなわち「声」のみによって、本作の音は構築されなければならなかった。あらゆるバック・トラックが人間の声によって鳴らされるという恐ろしく革新的な、ビョーク五枚目のオリジナル・アルバム。
 山は、僕たちが生まれる何千年も昔から世界の「そこ」に存在している「本質」であるにも関わらず、現代社会という一元的な世界の中では、同時にひどく隔絶された場所でもある。そして、この「本質が失われる」という構図こそ、本作『メダラ』が最も深く追求しているテーマなんだと僕は思っている。9.11の強い影響下で制作された本作で、ビョークはついに露わにされた人間社会の欺瞞や恐怖や猜疑といった薄暗い風景を歌っている。隔絶された山から見下ろした人間の世界は、想像以上に混乱していた。人間の声によって、他でもない人間に向かって鳴らされる警告の鐘は、その奇妙な矛盾こそが世界のねじれであり、屈折であり、混乱だということを生々しすぎるほどリアルに告げている。人間は、いつの間にかその身をまっすぐに貫く「本質」を抜き取られてしまったのだろうか。いや、違う。人間は、生まれた時から、それこそ「本質」的に、間違っていたのだ。
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01:22 | 日記 | comments (2) | trackbacks (0) | page top↑
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コメント

#
かみなりぴか~~~どん!

小さい頃、落雷の衝撃を受けなぜか嘔吐した私です。
とらうま。
たいがーほーす。

こないだなぜかロッキンオン(JAPANじゃないほう)を探して読みつくしてしまいました。w間違ったw

ビョークとはほぼ触れ合ったことのない私です。

もっと求めないといけない。

人生には求めないと出逢えないものがありますね。
by: ★まほし★ | 2008/09/26 10:29 | URL [編集] | page top↑
# ★まほし★へ
変な子、笑

ビョークでも一回危ないことあったよね。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』観てて。
肝心のエンディングを観ないんやから笑笑


出会ったものは、全部求めたものだよ。
求めなかった出会いなんてないし、
求められない出会いも、ない。
すべては、イッツ・アップ・トゥ・ユー、
「あなた次第」、なんやから。

あ、学び舎のもうすぐ夏休み終わっちゃうよ会は、
どうやら日曜になりそうです!
by: 幸大 | 2008/09/26 18:12 | URL [編集] | page top↑

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