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コクーン

びょーく
映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』で、
真っ暗で絶対零度の徹底的な絶望を描こうとしたラース・フォン・トリアー。
その絶望的な脚本を受け取ったビョークは、
悲劇の運命に翻弄される女性の、眩しい希望を表現することに徹した。
希望を持てない生命があってはいけない。
ビョークの表現はいつもそこから始まる。
そして、そのためにはケチケチ生きていてはいけない、と。
金なんて使えるだけ全部使っちまえ。
生命力なんて、使えるだけ全部使っちまえ。
ビョークが実際にそんなことを言ったことはないけど、
いつもそう言っているみたいに僕には聴こえる。
すべてを使い果たし、最終的にお前の手にはなにひとつ残らなかったとしても、
お前の中にはきっと、お前だけの愛しい希望が芽生えているはずだ。
そう言ってくれるビョークが、僕は好きだ。

Vespertine
/ Björk

Bjork_-_Vespertine-front.jpg
魂を燃やせ
 『デビュー』から『ホモジェニック』まで、そしてラース・フォン・トリアーとタッグを組んだ主演映画のサントラ『セルマソングス』においても鮮やかなほど自由にオリジナルの世界を想像・創造することで実世界と対峙してきたビョークが、ここではそれを完全に停止させている。彼女のボーカルの魅力のひとつでもある一種の野生的な激しさは夜更けのように静まり返り、自己の中に横たわる核心を穏やかに呼び起こそうとしている。『ホモジェニック』からの踏襲であるデジタル・ビートも、まるで内省の扉を叩く鼓動のようだ。本作で海のような広さと深みを獲得したビョークの歌声とそれが放つ言葉は、テーマとして掲げられた「内気な人々」のまさにその当事者である彼女自身の内向きに閉ざされた核心部分を、ゆっくりと紐解いていく。常に世界への明確にして強烈なステートメントを発し続けてきたビョークが、そのキャリアの中でたった一度だけ、世界ではなく「自分」に表現の矛先を向けた作品だ。そして、「内気な人々」が自己という殻に閉じこもることで守ろうとする内なる扉の向こう側には、こんなにも優しく芳醇な世界が広がっていた――。このアルバムは、そういう作品である。本作におけるビョークはもはやアイスランドの妖精などではない。何かと関わることに戸惑い、だからこそ心を許した「あなた」とだけは今夜ひとつになりたいと切望する、僕たちと何ひとつ変わらない「内気な人々」のひとりでしかないのだ。これまで彼女が誇示し続けてきたあの余りにも鮮やかな世界でさえ、奇跡や魔法や神秘などではない、想像という自己との闘争であり、そこからこぼれた内向の滴のきらめきだったのだ。
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