FC2ブログ

エピデミ

えぴでミック
今から観ようかなぁと考えていたけど、明日は午前中からバイトだし
そろそろ寝てこれを観るのはまた今度にしようと決めたDVD。
ラース・フォン・トリアー監督初期作の『エピデミック』。
昨夜観た『メディア』はまさに映像の映画でした。
今じゃ当たり前の技術だけど、20年前はまだ斬新だったんだろうと思う。
そして、やっぱりラース・フォン・トリアーらしく、喪失の物語だった。
すべてを失った時、人間に未来はあるのか。
『メディア』と『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の共通点ともいえるテーマ。
命だけは失わなかったメディアには、未来はなかった。
命すらも失ったセルマには、しかし、未来があった。
それは、ビョークの今自分が置かれている状況から前向きに進まなければ、
表現でもアートでも解放でも何でもないという一種の個人的な思想による未来だった。
これは楽観主義とは全然意味が違う。
後ろ向きな自分なんてクソ喰らえという、
ボロボロの両足を引きずりながらでも前に踏み出してやるという、
自分との果てしない戦いの決意だ。

Homogenic
/ Björk

Bjork-Homogenic.jpg
今こそ目覚めよ
 現在のところの最新作である『ヴォルタ』はその極みともいえるアルバムだが、ビョークの作品はどれも、メイク、衣装、アートワーク、ビデオなどのあらゆる視覚的要素が有機的に結びつけられることによってより効果的に彼女だけの世界を僕たち受けて側に提示し続けてきた。ビョークは、優れたミュージシャンであると同時に、優れたヴィジュアル・アーティストでもあるのだ。そして、僕はこの『ホモジェニック』のアートワークが一番好きだ。凍てついた空間に封じ込められたような、感情を持たない人形のような不可解な表情で固まった女性。『ホモジェニック』とは、ガラス玉のような彼女の瞳(つまり人間や動植物以外の「何か」)に、再び生命の炎を呼び起こすための営みだった。それは神秘や奇跡なんていう単純で都合の良い言葉には決して落とし込むことのできない、ビョークの格闘だった。ストリングスの奏でるオーガニックで流麗な音色と耳朶を激しく打ち付けるデジタル・ビートという対立構造が、生命の美しさと野蛮さが背中合わせの真実であることを告げているようで面白い。最終曲“オール・イズ・フル・オブ・ラヴ”のビデオは、生命の力さえあれば機械ですらも愛し合えるというファンタジーにも見えるが、その世界は限り無く閉ざされている。生命ほど素晴らしく、そして残酷なものはないということを伝えながらも、ビョークの歌声が決して後ろ向きではなくむしろ「解放」へと向かっているのは、その残酷さすらも全身で受け止める強烈な覚悟が彼女の中にあるからだ。レディオヘッドの『キッドA』やオウテカ作品などが代表的なように、概してガラスの冷たさのような印象を与えるデジタル・ビートが本作では例外的に、生命のすべてを受け止めようとしたビョークの情熱的な歌声の背後で、血の鼓動のように熱く脈打っている。
スポンサーサイト



02:48 | 映画 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑
熊の場所 | top | 名監督

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://overtheborder.blog64.fc2.com/tb.php/473-ce72d3c9