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生きろ

白石
白石一文、『私という運命について』。
そう、僕たちは、宿命を変えることはできない。
でも、僕たちは、運命なら変えることができるかもしれない。
運命とは、意志であり、決意であり、選択である。
あなたがその強固な意志でもって決意したすべての選択は、運命なのである。

僕たちの人生には、「運命的なるもの」がそこらじゅうに転がっている。
ひと目惚れから衝動買いまで、
それにまつわるあなたの思いを自分自身で心から信じられた時に、
その選択は運命になる。
「運命的なるもの」は、あなたがそれを守り抜けた時に、
初めて正真正銘の「運命」になる。
運命は突然あなたのもとに舞い降りたりはしない。
選べない運命も、どこにもない。
「運命的なるもの」は、いつもあなたの選択によってのみ、
本物の「運命」へと成り得るのである。

だからこそ、最も究極的な選択は、「生きる」という決意である。
まっとうに「生きる」ことを選択できれば、
それがどんなに短い生涯であっても、
傍目から見れば不幸に映るものであっても、
その人生は、あなたのかけがえのない「運命」なのである。
「生きる」という決意は、あらゆる選択を可能にする選択なのだ。
「生きる」という選択は、ただそれだけで「運命」であり、
果てしない「希望」なのだ。
この本が伝えているのは、そういうことである。

ついでに今聴いてるCDのレヴュー書きます。
ザ・キラーズのセカンド・アルバム、『サムズ・タウン』。

Sam's Town
/ The Killers

The Killers-Sams Town
ポップな人間になろう
 こういうアルバムを聴くと、ポップであることは、ただそれだけで「勇気」であり「希望」なんだと思い知らされる。一瞬で覚えられて、ついつい一緒になって口ずさんでしまう過剰なまでのポップ感。そんな聴き手を巻き込んで歌わせる力とは、「生命力」以外の何物でもないんだ。ポップは本質的に死と結びつかない。僕たちは、歌いながら生きることはできても、歌いながら死ぬことなんてできやしないのだ。歌えるのなら、あなたはきっとまだ生きることができる。「ポップすぎる」なんて難癖付けて選り好みするようなやつは、僕に言わせればただの臆病者だ。何を知的ぶっているのか。かっこつけながらロックなんて聴けないんだから。
 キラーズがクイーンに憧れて作ったセカンド・アルバム。そういえば、クイーンのポップネスもそういう類のものだったような気がする。言わずと知れた名曲“ボヘミアン・ラプソディ”があそこまで過剰な構成と圧巻のメロディを必要としたのは、それが、タイツ姿で熱唱しちゃう伊万里焼コレクターの男が絶望しながらも前に進もうとする爆発的なエネルギーだったからに他ならない。記憶の片隅に眠っていたアメリカの郷愁の風景を放浪しながら、ブランドンが「ひとり」としての自分をもう一度始めからやり直そうとした傑作アルバム。荒野に生み落とされた少年が走り続ける勇気を手に入れたみたいな後半の高揚感はまさにクイーンのそれ。ポップでありロックであるというこのスケール感溢れるダイナミズムは、ひとりの人間が果てしない荒野に力強く生きていくことを全力で肯定している。
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