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狂気の人

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スタンリー・キューブリック監督の62年作、『ロリータ』。
ウラジーミナル・ナボコフという作家の小説を映画化したものみたいです。
もうずっと目が離せなかった。
なぜかって、ロリータ役の女の子が可愛すぎて。
なんなんだあの目つきは。
子悪魔っていうのはあの子みたいな女の子のことを言うんだろうな。
本当に可愛いんですよ。可愛すぎるんですよ。
それしか言ってなくて説得力ないけど、本当に、死ぬほど可愛いんですよ。
そりゃああんな女の子がそばにいたら狂う男もいるわな。
男の愛情は、純粋といえば純粋なんだけど、高慢で身勝手で、狂っていた。
狂っていたけど、まるでダダをこねる子どもみたいだった。
男は、子どものまま大人になると、狂う。
そして、実は、男はみんないつまでたっても子どものままだ。
僕だって、あなただって、きっとそうだ。
幼さと狂気は紙一重。
キューブリックはやっぱり映画に狂気を持ち込む人だった。
今日は、『バリー・リンドン』を観るか。


CDレヴューはベックで。
まだ最新作の『モダン・ギルト』が聴けてない・・・・・・。
『ザ・インフォメーション』のレヴューも書いたら聴くことにします。

Guero
/ Beck

Beck-Guero.jpg
ヘイ、グエロ!
 『シー・チェンジ』がベックにとっていかに重要な作品だったかを物語るようなアルバム。南米のスラングで「白人の男の子」を指すこの言葉をアルバム・タイトルにしたというスタンスが当時のベックのメンタリティを明確に表している。自分を「負け犬」と称してケラケラ笑っていたあの頃の印象と激しく重なる。白人なのにそれらしくない変なことばっかやってる自分を自分で「おもろい」と笑えなくてどうする? そこから始まるいかにもベックらしい自由さが本作では取り戻されている。『オディレイ』を発表してからというものいまいちパッとしたキャリアの描けなかったベックが自分の未来と真正面から向き合うためにあえてその歩みを止めたのが『シー・チェンジ』だった。このアルバムを聴くと、ベックが『シー・チェンジ』の「立ち止まり」を極めて前向きに位置づけていることがわかる。ダスト・ブラザーズと組んでもう一度『オディレイ』の方法論をなぞるなんてことができたのは、ベックが「もう何をやってもいいんだ」という開き直りにも似た吹っ切れ方をしているからだろう。それでもこのアルバムが『オディレイ』の滅茶苦茶なポップネスをまったく発していないのは、ベックが自分の音楽と極めて冷静に向き合えている証拠だ。個人的に、このアルバムはベックがこれまでの自分のキャリアを冷静に分析し、そして肯定した作品だと思っている。これまでのベックの軌跡を辿るかのようにディスコグラフィーのすべてを内包した作風になっているのは、きっとそういうことだ。『シー・チェンジ』でひとりの人間としての自我を探り、本作でミュージシャンとしての自己を認めたベックは、続く『ザ・インフォメーション』で独自のパフォーマンスとコミュニケーションの在り方を提示しながら世界と積極的に関わり続ける決意を明らかにする。
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