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マイ・ケミカル・ロマンス

マイケミ
数時間前にレイヴとカニエについて書いたところだけど、また更新。
マイケミのライブ盤が出たので、聴く前に復習です。
オリジナル・アルバムはこの二枚しか持っていないけど、
マイケミは自分の中では結構大きい存在だったりする。
僕がロックをいまいち客観的に語れないのは、
こういうバンドがいるからなんだ。
僕がロックを聴くのを止められないのは、
ロックには、こういう希望があるからなんだ。
精神(妄想?)論者の戯言だと笑われてもかまわない。
ただ言えることは、
夢を見られないやつには、
ひとりの女の子を本気で愛せないやつには、
ロックなんて聴けないということだ。
ロックとロマンスは、紙一重なのだ。
ロック聴くなら、恋しろよ。
夜中にブログなんて書いちゃいけないね、ほんと。

Three Cheers For Sweet Revenge
/ My Chemical Romance

My Chemical Romance-Sweet Revenge
ロックの鏡に「死」は映らない
 マイ・ケミカル・ロマンスは、ロックに殺されることを望んだバンドである。理由は何でも良いが、大好きな女の子がいるけどその子は他に好きな人がいるとか、スポーツも勉強もできなきゃ女の子に気の利いた言葉もかけられないとか、学校でいじめられてるとか、なにかそういう思春期特有の、自分のダメさ加減を思い知らされるようなことがふさわしい気がする。感傷的なメロディとネガティヴな言葉を総動員してジェラルドは自分の絶望的なまでのダメっぷりをおとぎ話よろしくロックの鏡に語りかける。こんな負け犬の俺なんてさっさと殺してくれ、と。鏡はそのメロディと言葉を正しく映し返し、ジェラルドはそこに佇むやっぱり負け犬でしかない自分の姿と対峙する。ジェラルドが本当に救いがたい男だったのは、彼がどうしようもない負け犬だったからじゃない。ロックに殺されることで、自分が本気で救われると信じていたからだ。残念ながら、ロックの鏡はひとりのダメ男の情けない姿をそのまま映し返しただけで、後は何もしなかった。ロックは人を救わない。殺すこともない。ロックのそんな役立たずな真理に立ち尽くしたジェラルドは、だからこそ自分の足で歩き始めることしかできなかった。「僕は大丈夫なんかじゃない!」というこのネガティヴな叫びが、全然大丈夫じゃない自分をそれでも僕たちはこの身に引き受けて前に進まなければいけないというポジティヴな希望を無性に駆り立てるのは、ジェラルドにとってロックが自分を殺す場所ではなく、「生かす」場所へとすでに変わっていたからだ。ジェラルドが死や絶望を歌う時、それは彼が死ぬほど絶望的な自分を改めて見つめ直す時間であり、そんな自分がそれでも前に進めることを自分自身で認める決意の瞬間なのだ。
 “アイム・ノット・オーケイ”を聴くと、僕はいつも高二の頃の自分を思い出す。死ぬほど大好きだった初恋の女の子にフラれた僕は、毎朝何度も何度も頭の中でその子を殺しながら学校に向かい、本当に死ねばいいのは自分だと思いながら家路についていた。それでも僕が今を前向きに生きているのは、ロックが、ロックだけが、僕を「生かす」唯一の手段として心の中にいつだって横たわっているからだ。ロックは救いの手なんて差し伸べてはくれない。マンションから飛び降りる自分の姿も、そこには映らない。ロックはただ、僕たちの姿をそのまま映し返し、僕たちが紛れもない「今、ここ」にまだ「生きている」ことだけを、大丈夫なんかじゃない僕たちが、それでも「生きる」ことのみを、ロックは肯定するのだ。
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