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怒りに火をつけろ

聴かなきゃ
今週はバイトが忙しい。
ほとんど休みの日はなしである。
明日もバイト。明後日もバイト。
日曜は休みだ。頑張れ。

バイトが忙しいだけなら別にしんどいことなんてない。
写真は、プライマル・スクリームの新作発表までに、
つまりあと正確には6日のうちに、自分の中で「聴くのだ!」と決めたCDたち。
スピリチュアライズドやベックの過去作など、もうすでに聴いたことのあるCDもあるし、
サントゴールドのデビュー作やポール・ウェラーの新作など、
これから初めて聴く作品もある。
もちろん、ただ「聴く」だけで終わらせるつもりはない。
自分の中で、なんとか対象化しようと思っている作品である。
6日でこれ全部に自分の明確な意見を持つのは難しいな。
しかも明日にはここに更に3枚ほど増える。
最近は睡眠時間も減ってきた。
眠気なんて、ビールと一緒に腹の底に沈めちゃえ。
僕の生活には、「暇な時間」など一秒たりともないのだ。
あくびをしている暇があったら、半歩でもいいから前に進め。

大学の授業だってあるし、そろそろテストの時期がせまってきている。
日々が忙しくなると、それだけストレスが増える。
このストレスの正体は何か。
これは、いったい何に向けられたストレスなのか。
それは、「自分」である。
いつまでたってもうだつのあがらない自分への、一種の怒りである。
そして、その怒りは間違いなく自分をポジティヴな方向へ進めてくれる。
ガソリンみたいなものだ。怒りに火をつけろ。
世界にでもなく、ロックにでもなく、
この自分に向けられる怒りを感じられる間は、僕は大丈夫だ。
アイ・キャント・ゲット・ノー・サティスファクション、である。
もちろん、俺はまだ自分に満足なんてしていない。
だったら、前に進むしかないだろう。

ロックとオシャレは似ている、とか思ってしまった。
オシャレをする、ということは、
自分のコンプレックスを乗り越える、ということである。
オシャレをするということほど、
残酷なまでに自分と向き合わなくちゃならない行為はないと考えているのだけど、
でも普通はそんなこと考えてオシャレしないわな。
でも、そうだと思うのだ。
だから、オシャレって、なんか、見た瞬間にその人がわかる。
本当に自分と向き合った人のオシャレだけは、圧倒的に存在感が違うのだ。
なんとなくだけど、でもそうなのだ。
ロックも、オシャレも、「自分」を置き去りにして前になんか進めない。
「自分」を置き去りにしたオシャレは、アイテムひとつひとつは魅力的でも、
でも、なんだかひどくかっこ悪い。
あなたが一番見つめなきゃいけないのは、ファッション雑誌や流行りなんかじゃない。
「自分」だ。

ロックする時は、オシャレする時は、かっこよくなろうとなんてするな。
ロックする時は、オシャレする時は、情けなくなれ。
ロックする時は、オシャレする時は、自分に怒れ。
そして、そんな自分を超えろ。
そうやって、僕たちは初めて前に進めるのだ。
そうやって進み始めたロックが、オシャレが、一番かっこいいと思うのであります。
ただ、ことわっておきますが、僕はロックには熱心ですが、
オシャレの「オ」の字も知らないダサダサな男である。
なんで僕はこんなんなのだろうか。


ところで、写真のCDの山の一番上に置いてあるのは、
おそろく08年ナンバー・ワンの印象的なジャケットであるシガー・ロスの新作。
早く聴きたいので、過去作を焦って聴いています。
そんなわけで、今日のCDレヴューはシガー・ロスの作品。
シガー・ロスの音楽は、言葉にするのが難しいよね。
ほろ酔い気分でシガー・ロス聴いたら頭おかしくなりそうである。

Ágætis Byrjun
/ Sigur Rós

しがーろす

「神秘」と紙一重の「恐怖」
 最新作はどうやら大きく違っているようだが、シガー・ロスについてのテキストに「壮大」という言葉が使われていると、僕はひどく居心地が悪い。本作のジャケットが示している通り、シガー・ロスの音楽とは、まだ世界を目撃していない胎児の想像力である。子宮の中で、まだ目も開かない胎児が「見えないもの」を想像する激しい内向性。それがシガー・ロスの音楽である。だから僕は、「壮大」さではなく、いつも重くのしかかってくる「閉塞感」と戦いながらシガー・ロスの音楽を聴いている。
 よく言われる「未知の~」というやつも嫌いだ。シガー・ロスの世界は、決して未知の世界じゃない。僕たちみんなの心の内に常に居座り続けながらも誰もが目を向けようとすらしない、シガー・ロスが照らし出すのは、そんな無意識のうちに潜在する、「本質」である。極端に閉じて、閉じて、閉じまくったその先で、シガー・ロスだけが辿り着いた人間の森の極地。多くの人がシガー・ロスの音楽に感じる「神秘性」とは、そこを照らし出されることに対する「恐怖」だと僕は考えている。だからこそシガー・ロスの音楽は美しくも獰猛で、静謐ながらも激しく、世界が終わる直前に鳴り響く鐘のような危機的な啓発として成り立っている。人間の最も本質的な部分をさらけ出すその音楽は、明確な言葉と意図を持たずとも、その「本質」そのものが圧倒的なメッセージ性を孕んでいる。そして、まだ誰も、この「恐怖」を克服できていない。このセカンド・アルバムで僕たちはその内なる「恐怖」の存在に否応無しに気付かされ、今もなおシガー・ロスの音楽に慶びとは程遠い畏怖の念を抱き続けている。
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