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Alive

不自由な心 (角川文庫)


白石一文の『不自由な心』という短編集に入っている
“夢の空”という話をトイレの中で読んでいたのですが、
便器の底に引きずり込まれるような不快な読後感でした。
一枚の落ち葉がゆっくりと静かに落ちていく様子を見守るような、
「多分あそこに着地するんだろうなぁ」という感覚で読めたのですが、
いざ着地というときになったらそこが汚物まみれのドブだということに気が付いて、
落ち葉は何も知らずにそのまま汚物に沈んでいく――雑な感想だけどそんな感じ。
愛し合う者たちの交わした約束も、最後の望みもビリビリに破り捨てて、
全部便器の中に放り投げて、何もかも洗い流してしまうような着地の仕方でした。
“夢の空”。その色は真っ黒に塗りつぶされてしまいました。
白石一文にこんな貫井徳郎みたいなことできるんだ。
良い意味で裏切られたかな。
短編の話はやっぱり長編レベルの読圧がないというか、
時間をかけて様々な情報が結びつきながら様々な人の思いが解きほぐされていく、
そんな高次元の表現力を発揮するのは難しいですが、
その作家の作風がオリジナルな理由とか、
いつもとは違った実験性が垣間見えたりして面白いですよね。
今日は5、6時間目にだけ大学の授業があるけど、
両方ともあんまり面白くないからその時に続きを読もう。

このまえキンクスやディランについて少し書きましたが、
彼らが登場した60年代だけでなく、
自分がこれまでに聴いてきた作品も改めて聴きなおしています。
そうやって久しぶりに聴いてみて思うのだけど、
まだ10代だった頃、僕はいったい何を考えて音楽を聴いていたんだろう。
結局僕は今の今になるまで音楽を聴いたことがなかった。
それぞれの作品やそれらに対する思いを、
僕はずっと「聴いた当時」に置き去りにしていたんだと思う。
それを「永遠」にする術を、僕は知らなかった。
訳のわからないことを言っていますが、でもそうなのです。
過去に置き忘れた「点」を、今僕は必死に「線」で繋ごうとしています。
だから今更になって、
僕はニルヴァーナやパール・ジャムに、とても感動している。


Ten
/ Pearl Jam

Ten



パール・ジャムという揺るぎない生き様
 「91年」「シアトル」「グランジ」という言葉が並べば真っ先に思い浮かぶのはやはりニルヴァーナの『ネヴァー・マインド』だが、僕は断然こちらを推す。パール・ジャムの記念すべきデビュー・アルバムである。90年代初めに台頭したグランジは、当時のMTVを代表とするビジネス至上主義に反旗を翻した一大ムーヴメントといったような文脈で語られることが多いが、ニルヴァーナにしてもパール・ジャムにしても、そもそも彼らの念頭には「反商業」という明確なオルタナティヴはなかったというか、そんなことは実はどうでも良かったんだと思う。ただ、彼らはロックを通して「生きようとする」ことを、演じていなかっただけだ。それがたまたま時代の流れとやらには猛烈にそぐわなかった。だからこそ、その狭間で人格を押しつぶされたカート・コバーンは、その信念を自らの手で撃ち抜かねばならなかった。
 “ワンス”“アライヴ”“ジェレミー”“ガーデン”といったパール・ジャム初期の名曲が並ぶ傑作。エディ・ヴェダーのボーカルは傷跡から穿り出されたかのように重く、その力強さがかえって痛々しくもある。ただこのアルバムが、絶望のどん底のうめき声を音に変換しながらも、そこに一縷の望みや生命力といった温かいものを感じさせるのは、彼らの歌を、「それでも生きる」というしぶとい最後の希望が背骨のようにしっかりと貫いていたからだ。
 もし、カート・コバーンがこのバンドの一員だったら、彼は今も存命だっただろうか。生きることで、自分を打ちのめした連中になんとか一泡吹かせてやろうと戦い続けているだろうか。いくら考えてもそれが想像の域を超えることはないが、少なくともパール・ジャムだけは、かつて数多く登場した「グランジ」と呼ばれるバンドの中で、唯一その戦い方を今も体現している。
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14:38 | 日記 | comments (4) | trackbacks (0) | page top↑
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コメント

# 難しい
はじめまして。
残念ながら、カート・コバーンはパールジャムを「メインストリームで商業主義だ」として批判していました。
実際にはバンドの方向性というよりも、エディ以外のメンバーに対する嫌悪感がカートにあったことが原因のようで、当初ひとまとめに批判していたエディとは晩年に和解こそしたものの、はやり現実には、どんなにエディに対するシンパシーがあったとしても、カートがパールジャムのメンバーとしてやっていける要素は限りなくゼロだったと思います。

カートには独特の「人間の壁」があって、自らそれを越えることを望まない人でしたから、わだかまりを持った相手と一緒にやることは考えられないわけですね。
それゆえに、クリスやデイヴとの仲が悪くなった段階で、カートが死のうと生きようとニルヴァーナは解散する運命であったとも思えます。
by: まるあ | 2008/05/14 09:21 | URL [編集] | page top↑
#
初めまして!

カートがそう言っていたから、
パール・ジャムが「メインストリームで商業的」だとは思いません。
すべては作品そのものからのみ評価すべきです。
事実的にパール・ジャムが「メインストリームで商業的」かどうかは、
僕にはわかりません。
ただ、猛烈に売れて、
大々的に支持されたということしかわかりません。
でも、そんなことは僕が作品を聴く上ではどうでも良いことなんですよ。
例えば“ジェレミー”で歌われた、教室で頭を打ち抜いて自殺した少年に対して、
「本当に最高の復讐とは、生き続けて自分を証明すること、
奴らより強い人間になることだ」というコメントをエディが残しているように、
パール・ジャムはその作品を通して、
「生きること」に必死で何らかの意味を求めていた、
それが大切なんです。
少なくとも、彼らが作品を作るモチベーションは、
「売れること」ではなくて「生きること」だった。
それだけは僕は絶対に譲りませんよ。
パール・ジャムは『ネヴァーマインド』に乗っかって売れたような印象があります。
でもそれは「結果」としての「メインストリームで商業的」でしかないんですよ。
少なくとも、エディ・ヴェダーの最優先の意志はもっと違うところにあります。
僕はそれを伝えたかっただけです。

あと「カートがパール・ジャムのメンバーだったら~」というのは、
何というか、ジョークというか、ただの妄想です。
もしカートがパール・ジャムというバンドに入る運命に生まれていたとしたら、
ということです。
実際にそれが可能か、という話ではないです笑
でももしそうだったらどうなっていたでしょうね。
カートは、ついて行けなかったでしょうね。

まるあさんのニルヴァーナ・サイト見ました!
詳しく載っていて勉強になります。
僕は今なんだか改めて彼らについて考えさせられましたよ。
コメントありがとうございます。

やっぱり、難しいですね。


by: 幸大 | 2008/05/14 11:13 | URL [編集] | page top↑
# 新作もたのしみ
私もパールジャムを「メインストリームで商業的」とは思ってないですよ。
アルバム全部聴いてますし、アメリカではカートよりもエディのほうがカリスマ的な支持を受けてますよね。

あくまでカートの主観で個人に対する好き嫌いが肥大化し、そこに雑誌のインタビューでのリップサービスが重なった結果だとは思いますが、同じ地域に住んでた仲ですから我々にはわからない確執も多々あったんでしょう。
ニルヴァーナのガンズに対する嫌悪感とはまた違う感じの身内に対する批判っぽいニュアンスもありましたし。

あ、新作アルバムの製作がスタートしたらしいですね。
今度はブレンダン・オブライエンがプロデュースで再登板するようですし、楽しみです。
by: まるあ | 2008/05/14 13:38 | URL [編集] | page top↑
#
新作製作スタートしたんですねー!
それは大いに楽しみです。
前作が強烈なフックの効いた初期作的なエネルギーを取り戻したアルバムだったので、次が気になっていたところです。

パール・ジャムにしてもニルヴァーナにしてもこれから勝手なレヴューを載せるかもしれませんが、優しく見守ってやってください笑
鋭いご指摘も重々受け止めますので。
よろしくお願いします。
by: 幸大 | 2008/05/15 10:28 | URL [編集] | page top↑

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